「商売のヒント」

経営に関するヒントや考え方など毎月掲載しています。

【選択が変われば全てが変わる】《令和元年9月号掲載》

私たちは色々な選択をしながら生きています。何時に起きて、何を食べて、どこで、誰と、何をするか。

歯を磨くという日課も習慣化された無意識の選択です。そうした選択のひとつひとつがすべて商売の礎(いしずえ)となっていることを、今日は少しだけ真剣に考えてみませんか。例えば、ある家族を想像してください。朝から子どもが大騒ぎ。妻はイライラして夫であるあなたにも八つ当たり。気分良く目が覚めたのに一気にテンションが下がりました。そこであなたは、どんよりした気分を引きずったまま暗い声で「行ってくるよ」と家を出ることもできます。もしくは気分を切り替えて「いってらっしゃい!」と元気良く子どもを学校に送り出した後に、妻にも「行ってくるよ!」と明るく声をかけることもできます。どんな態度で家族に接してもあなたの自由です。笑ってもいいし、怒ってもいい。やってもいいし、やらなくてもいい。感じ良く振る舞ってもいいし、不機嫌さをまき散らしてもいい。面倒臭いからと後回しにしてもいいし、今やっておくと楽だからと多少無理をしてもいい。相手に反撃してもいいし、自分が引くことで丸く収めてもいい。人を悪く言ってもいいし、お互いさまだからと許してもいい。自分を貫く「イエス」でも、自分を曲げる「ノー」でも、あなたはどちらも選べます。裏を返せば、あなたの態度はあなたが自分で選んだ結果なのです。人に優しくありたいと思いながら嫌みな態度になってしまうのは、自分で「嫌みな態度」を選んでいるからです。選択は常に4つあります。自分にも周りにも良い選択。自分にも周りにも良くない選択。自分には良くても周りには良くない選択。自分には良くないけれど周りには良い選択。どれを選んでも自由ですが、どの選択が一番良いか、あなたはちゃんと分かっています。楽しく商売したいなら商売が楽しくなる考え方を選びたいものですし、お客さまに喜んでほしいなら「ありがとう!」と言われる態度を選びたいものです。「選択が変われば人生は変わる。人生が変われば商売も変わる」。ひとつひとつ大切に選んでいきたいですね。

【笑顔で施す】《令和元年8月号掲載》

その会社にいつもやってくる宅配便の青年は、女性社員たちのアイドル的存在だといいます。青年が「こんにちは!○○急便です」と会社のドアを開けるとオフィスにいる女性社員たちが寄ってきて、あれこれ青年に話しかけるのだそうです。

そして夏なら冷たい飲み物を、冬なら温かい飲み物をすすめ、お茶の時間用にと用意してあるお菓子を持たせてあげるのだとか。この様子を見ていた男性営業マンが「別にカッコイイわけでもないのに、なんで彼ばっかりモテるのかねぇ」とすねてみせると、1人の女性社員はこう言ったそうです。「あんなにニコニコされたら、もっと喜ぶ顔が見たいって思うじゃない」。

お釈迦(しゃか)様の教えのひとつに「布施行」があります。施しをして、執着を捨て、こだわりを減らしましょうということだそうです。お布施と聞くと、お金や財物を施す「財施」を思い浮かべる人が多いように思いますが、だとしたらお金や財産がない人はお布施ができないのでしょうか。もちろんそうではなく、誰でも、いつでも、その場で、簡単にできるお布施があります。お釈迦様はそれを「和顔施(わがんせ)」、または「顔施(がんせ)」と言っています。和顔施は仏教用語の「無財の七施(むざいのしちせ)」のひとつで、人に対して笑顔で優しく接することです。いつもニコニコしていれば、それだけで施しになるようです。宅配便の青年が多くの人から愛されているのは、自然と和顔施をしていたからなのでしょう。商売をうまく軌道に乗せたいならば、今すぐニコニコしてみましょう。和やかな笑顔で人に接していれば、きっと周りの人を幸せにできます。うれしいことや楽しいことがあったら素直に顔や態度に出して、できれば相手の幸せも笑顔で一緒に喜びたいものです。悲しいことや辛いことが起きても、とりあえず鏡の前でニコニコの練習をしてみる。お客さまのために、従業員のために、会社のために、あなたが今すぐできることが和顔施なのです。

【「満足」よりも「勧めたい」】《令和元年7月号掲載》

ある製品の売り上げがガタ落ちしたので急いで直近の顧客アンケートを見直したところ、なんと8割もの人が「満足」「とても満足」と答えていた――。まるでホラー映画のような現象が実際に起こっています。これは、お客さまに悪意があったわけではなく、質問の仕方を工夫する必要があったのだと思います。

A:「あなたは、この製品(サービス)に満足しましたか?」

B:「あなたは、この製品(サービス)を友人や同僚に勧めたいと思いますか?」

一見すると似たような質問で、どちらも顧客のニーズを問うことに変わりありませんが、実は質問から得られる結果に大きな違いがあります。Aは「顧客満足度」を調べるための典型的な質問で、いわゆる「CS」と呼ばれる手法です。

対するBは「顧客推奨度」を調べるための質問で「NPS(ネット・プロモーター・スコア)」と呼ばれる手法です。NPSとは、企業やブランド(製品・サービス)に対する顧客の信頼度・愛着度(顧客ロイヤルティー)を数値化する指標のこと。測定方法はシンプルで、顧客は「勧めたいですか?」という質問に0~10点の11段階評価で答えます。9~10点は満足度も再購入率も高く、他者にも勧めたいという「推奨者」。7~8点はそれなりに満足しているけれど他人に勧めるほどでもない「中立者」。0~6点は製品やサービスに不満を持っていて、悪評を広める可能性もある「批判者」。推奨者の割合から批判者の割合を引いた値がNPSの数値となります。要するに「他者への推奨度」を点数で評価するので、これまで数値化が難しいとされていた、製品やサービスに対する「愛着度」を見える化できることが大きな特徴です。CSが過去から現時点での満足度評価なのに比べ、NPSは「勧めたいと思いますか?」という未来の予測行動を点数化します。そのため今後の売り上げや成長率に直結すると考えられ、近年はNPSを導入する企業が増えています。「顧客の言葉を信用するな」とは言いません。「顧客の本音が拾える問いかけ」も先を読む商売のコツというわけです。

【微妙な色合いの違い】《令和元年6月号掲載》

東京スカイツリーのオープンから7年が経ちました。昭和を代表する東京タワーに比べて近未来を感じさせる東京スカイツリーのカラーデザインは、日本の伝統色である「藍白(あいじろ)」をベースにしたオリジナルカラーの「スカイツリーホワイト」です。藍白とは、藍染めの際に最初の過程で現れる極めて薄い藍色のこと。ほとんど白に近い色味ながら純白よりわずかに青みがかった白で、別名「白殺し」と呼ばれるそうです。白磁のような白いタワーは青い空に映え、東京タワーとは異なった趣きを放っています。日本特有の文化や四季折々の生活の中で育まれてきた伝統色は1000色あまりといわれ現在、再現できる色だけでも300色以上あるそうです。しかも一色一色すべてに名前があり、その多くが植物の色に起因しているのは、日本ならではの四季の移り変わりによるものでしょう。例えば、東京スカイツリーのロゴマークにも使われている「苅安(かりやす)色」の「苅安」とは、山野に自生するススキに似た植物です。刈り取りが簡単だったのでこの名が付いたそうです。その苅安を使って染めた、やや緑がかった淡い黄色を苅安色と呼びますが、今では「薄い黄色」などと大雑把な表現をされています。トキの羽の色に似た薄いオレンジがかった桃色には「朱鷺(とき)色」という美しい名前が付いています。しかし、トキが絶滅種であるように朱鷺色も絶滅状態で、今や「ピンク色」が一般的となりました。価値の多様化、価値の最大化などといわれ、いかに違いを出すかに誰もが躍起になっています。商売も「違い」の競い合い。「少しの違い」を「大きな違い」に見せるための演出が派手になる一方で、肝心の商売の中身が大雑把になってはいないでしょうか。日本人はもともと四季に移ろう色彩を生活に取り入れ、ほんのわずかに明度が違う色を敏感に見分ける力を持っていました。自分も同業者も、商売の色は一見「黄色」に見えたとしても実は、菜の花色、レモン色、山吹色と黄色にも色々あります。その微妙な色合いの違いが、それぞれの商売の価値を最大化するヒントかもしれませんね。

【青き踏む春に遊ぶ】《令和元年5月号掲載》

ぬくぬくとした日だまり。心がとろけそうになるやわらかな風。あたりの緑は色濃くなり、いっせいに花が咲き始める。春は、四季のある国に暮らす喜びを全身で感じられる季節です。陰陽五行で春の色といえば「青」。これが「青春」の語源だとされています。俳句の世界では、春先の野原で青草を踏んで遊ぶことを「青き踏む」、または「踏青(とうせい)」といいます。もとは古代中国の行事に由来する言葉で、旧暦3月に青草がもえる中でうたげをする春の恒例行事だったそうです。ところで、春から夏に向かう頃になるとイソップ童話の『北風と太陽』を思い出すという知人がいます。旅人の外套(がいとう)を脱がせるために北風と太陽が勝負をするお話です。北風は思い切り寒い風を吹かせて旅人の外套を吹き飛ばそうとしますが、風が吹けば吹くほど旅人は外套の前をしっかり押さえます。

一方の太陽は、暖かな日差しを旅人に浴びせ続けました。するとそのうち旅人は暑くなり、自ら外套を脱ぎました。勝負は太陽の勝ちです。乱暴なやり方ではうまくいかない。優しい言葉をかけたり温かい態度を示したりすると、人は自分から行動する。一般的な教訓では、こうして北風が悪者になっています。ところが、実は2回勝負したという説もあるようです。まずは旅人の帽子を脱がせる勝負をしました。太陽が燦燦(さんさん)と旅人を照らすと、あまりのまぶしさに旅人は帽子をしっかりかぶってしまいます。次に北風が力一杯に風を起こすと、旅人の帽子はいとも簡単に吹き飛んでいきました。勝負は北風の勝ちです。そこでもうひと勝負というわけで、外套を脱がせる2回戦が始まったのだとか。このストーリー教訓は「何事にも適切なやり方というものがあり、一方でうまくいっても他方でうまくいくとは限らない」というものです。押してもダメなら引いてみる。商売の信念がコロコロ変わってはなりませんが、商売のやり方や考え方はひとつではないでしょう。煮詰まったときは昔の人にならって「青き踏む」を楽しみ、一度しか巡って来ないこの春を喜びと共に過ごしたいものですね。

【「ある地点」まで辛抱すればよい】《平成31年4月号掲載》

小売業を営むある社長はとてもりりしい顔立ちですが、仲間から「あきたん」と呼ばれています。これは飽きっぽい性格ゆえのあだ名だそうです。あきたんは決して怠け者ではありません。スタートダッシュは誰よりも熱心なのに努力が長続きしないタイプの社長です。頑張ってもすぐに成果が出ないから飽きてしまうのだとか。努力と成果は比例する。誰しもそう思っていませんか?しかし、残念ながらそうではないようです。学習効果は勉強した時間や努力の量に比例しないのです。頑張った分だけすぐに結果が出ればやる気も起きますが、学び始めからしばらくは、やってもやっても手応えのない地べたをはうような退屈な時間が続きます。ですから、あきたんのように初期段階で勉強や努力をやめてしまう人が多いのでしょう。ところが、ある地点に来ると、それまでの学習成果が一気に加速して、あるとき突然ブレイクスルーが起こります。ここからは目に見えて成果を感じられるようになり、コツコツと積み重ねてきた努力が実力となって発揮されていくでしょう。こうした一連の流れを学習の成長曲線といいます。『論語』の中で孔子は「苗にして秀でざる者あり。秀でて実らざる者あり」と述べました。学問の修得や徳の修養を稲穂の成育にたとえ「苗のままで穂を出さないものもある。せっかく穂を出しても実をつけないものもある。それを分けるのは努力と精進である」という孔子一流の比喩です。人の成長過程は色々で、若いうちに頭角を現して成功する人もいれば、頭角を現しただけであとが続かない人もいます。また若い頃は芽が出なくても中年になって花を咲かせる人もいます。しかし、どんなに美しい花を咲かせても、花のまま枯れて実にならない人もいます。

孔子は、実にならないからダメだと言っているのではありません。人間いつになっても努力と精進が大切だと説いているのです。成長曲線の「ある地点」が来れば、地べたをはうような時間は終わりを告げ、これまでの努力も商売もブレイクスルーするでしょう。「ある地点」まで辛抱すれば努力は必ず報われるものです。

【人の思いを大切にした商売】《平成31年3月号掲載》

「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし(在原業平:ありわらのなりひら)」。世の中にもし桜がなければ、どれほど心穏やかに春を過ごすことができるでしょう。この歌のとおり、日本人にとって桜ほど縁の深い花はありません。古来、花といえば桜を指したといわれるほどです。暖かくなれば桜は咲いたかとそわそわし、風が吹けば桜が散りはしないかともめる。そんな気ぜわしさも春が訪れた証です。世界的な桜の名所として知られるワシントンD.C.のポトマック河畔。あの桜並木は、1912年に日本が贈った桜の苗木から始まったのは有名な話です。桜の季節が終わった寂しさをなぐさめるように初夏を彩るのは、白や赤の花をつけるハナミズキ。アメリカ東部が原産のハナミズキは、ポトマック河畔の桜のお礼として大正時代にアメリカから日本に渡ってきました。ハナミズキの花言葉は「返礼」。当時の人々の温かい交流をうかがい知ることができますが、このハナミズキの運命はワシントンD.C.の桜とは異なるものでした。太平洋戦争が始まると、それまで日比谷公園などに植えられていたハナミズキの一部は「敵国の贈り物」として切り倒されたり、空襲などで枯れたりしてしまったのです。人々の心はハナミズキから離れ、存在も忘れ去られました。しかし原木は生き残り、心ある人たちのおかげで再び開花することができたのです。東京都立園芸高校などでは、高さ10メートル、幹回りが1メートルを超える老木が今でも花を咲かせている様子を見ることができます。100年以上前の出来事が今につながっている例はほかにもありますが、そこに共通しているのは「人の思いが新たな歴史を作った」ということです。今の商売が100年続くかどうかは運任せでも、商売に込めた思いが本物であれば新たな価値を生み出すことはあるでしょう。人生100年時代、AIが台頭する時代だからこそ、誰に何を贈るか、誰に何を返礼するかを考えながら、今まで以上に人の思いを大切にした商売をしていきたいですね。

【顧客の声は聞くべからず?】《平成31年2月号掲載》

「お客さまの声をよく聞きなさい」といわれます。商売のヒントも答えも、全てはお客さまの声にあるという考え方は、顧客満足を追求するうえではもっともな意見でしょう。現場のリアルな反応には、そこでしか得られない鮮度の高い情報が反映されています。ところが、顧客の意見をできるだけ取り入れた結果、商品がまったく売れなかったという話も聞きます。顧客がデタラメを言ったのでしょうか?それとも顧客の意見を読み違えたのでしょうか?『ユーザー中心ウェブビジネス戦略』という本によれば、これは人間の無意識による結果だそうです。行動心理学とデータ分析で多くの顧客の行動を観察してきたという本書の中で、とても興味深い事例が紹介されていました。

ある食器メーカーが主5人に「次に買うとしたらどんな食器が欲しいですか?」と聞きました。主婦たちは話し合い「黒くて四角いおしゃれなお皿が欲しい」という意見でまとまりました。その帰り際に、「お礼としてサンプルの食器の中からお好きなお皿をひとつお持ち帰りください」と言うと、なんと5人全員が「白くて丸いお皿」を選んだとか。その理由は「自宅のお皿は丸いものばかりなので、丸いお皿でないと重ねて置けない」「テーブルの色に合わせて食器は白でそろえている」などだったそうです。落語のオチのような話ですが、行動心理学的で考えられる理由のひとつは想像力の限界です。「黒くて四角いおしゃれなお皿」は主婦5人の想像で、具体的にあるわけではありません。人は、具体的でないものに対して良しあしの判断をつけられないそうです。もうひとつは認められたい願望です。グループで話し合うと、他のメンバーや主催者に認められやすい発言をしがちだそうです。

ただ、これは人間として仕方のないことなのでしょう。主婦がデタラメな話し合いをして「黒くて四角いお皿」と言ったわけではなく、人間の無識がなせる「認識」や「認知」の表れ方のひとつなのです。顧客の声なんてアテにならないという話ではありません。最終的に決めるのは全て自分自身なのです。

【喜びを「もうける」発想】《平成31年1月号掲載》

お正月にたこ揚げをする子どもの姿は、今やブラウン管のテレビと同じくらい珍しい光景になりました。

けれど遊び方は変わっても、子どもたちの発想がユニークなことに変わりはありません。小学校のテストで次のような問題が出されたそうです。「自分たちがいつも使っているスポーツ用品に、どんな工夫をしたらスポーツ観戦が盛り上がると思いますか?スポーツ用品会社に提案するつもりで盛り上がる理由も考えてみましょう」。これに対してある女子小学生は「盛り上がる工夫:女子選手のズボンの丈を短くする」「盛り上がる理由:おじさんたちがヒューヒュー言うから」と回答していました。

テストの問題っも斬新ですが、小学生の発想も柔軟ですね。果たしてこの問題、自分ならどう答えるかと考えてみたのですが、この小学生の柔軟な発想を超える工夫は思い付きませんでした(笑)。さて、ここで質問です。「○○をもうけたい」。あなたなら○○にどんな言葉を入れますか。「お金」と入れる人が多いだろうと想像しますが、ある社長は○○に「喜び」を入れ「私はお金をもうけるというより喜びをもうけたい」と言いました。地元で採れる規格外の農産物を使って画期的な商品開発と販売に成功したその社長によれば、商品開発は大変だったけれど、喜びをもうける気持ちを忘れずにいると自然と多くのご縁がつながって、どんどん良い方向に話が進んだとか。販売は業務用のみ。小売り向けの販売やネット通販はアウトソーイング。そのほうが自社コストを最小限に抑えられ、かつ他社の利益も大きくなるからだといいます。喜びを「与える」「創る」「生み出す」ではなく「もうける」という発想に「ヒューヒュー」と言いたくなるのは私だけでしょうか。ちなみに「女子選手のズボンの丈を短くする」という回答に対して「確かに・・・。ってアホか!」とコメントした先生。テストの答えとしては×でも個人的にはユニークで◎と、ヒューヒュー言いながら書いたかもしれません。商売に浮き沈みはあれど、心の中ではヒューヒュー言いながら柔軟に対応していきたいものですね。

【「外れる」勇気】《平成30年12号掲載》

四季折々で表情を変える美しい自然の風景は、日本の魅力として世界に広く知られています。けれどこの夏は、アフリカから来た観光客に「日本のほうが暑い!」と言わせるほどの猛暑でした。天候でも植物の生育でも生き物の生態でも「季節外れ」という言葉が「異常」の代名詞にもなっている現代ですが、昔の日本には季節外れを受け入れる風潮がありました。例えば、俳句の季語では時節を過ぎて鳴く虫の音を「忘れ音」といいます。時節が過ぎ去ってから咲く花は「忘れ花」。返り咲きした花は「返り花」。春半ばの降りじまいの雪は「雪の果」「忘れ雪」「別れ雪」「涅槃雪(ねはんゆき)」など情緒たっぷりに表現されます。歌人にとっての季節外れは異常ではなく、風情や個性なのでしょう。

「外れる」という言葉には「予測や期待と違う結果になる」「通常の基準に合わなくなる」「一定の枠や基準を超える」という意味もあります。「一億総中流社会」に象徴された昭和から「多様化」の平成になり、多様化という言葉さえすでに古いと感じるくらい価値観が枝分かれして複雑になりました。凝り固まった価値観やルールからの脱却を「さよなら、おっさん」と表現した広告が賛否両論を呼んだのは記憶に新しいところ。「個」の時代がますます加速していくと言われる今、外れること自体が価値を創造していくようにも感じます。

しかし、長年商売をしていると、変化を求めながらも外れることを避けようとするのはよくあることです。口では「変わりたい」と言いながら、実は今に甘んじていたいという気持ちは、ごく一般的な心理でしょう。それでも私たちは、外れた事象を受け入れる遺伝子を受け継いでいます。しかも「激動の昭和」と「多様性の平成」の両方を経験している世代は、故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知るバランス感覚も持ち合わせているのではないかと思います。人によっては3つの年号をまたいで商売をしていく人もいるでしょう。過去にとらわれず「外れる」勇気を持って新しい時代に望みたいものですね。

【あなただけのために】《平成30年11月号掲載》

以前、カナダのある大学が面白い実験をしました。学生46人に5ドルまたは20ドルを渡して複数のグループに分け、夕方5時までにお金を使うように命じました。ただし、あるグループには家賃の支払いなど自分のために使うように指示し、残りのグループには他人のためにお金を使うか慈善団体に寄付するように指示しました。つまり、自分のためにお金を使うか、他人のためにお金を使うかの違いです。さて、より幸福だと感じたのはどのグループの学生だったでしょう。事前に学生が予想したところ、自分のために20ドル使うグループの学生が一番幸福感を得るだろうという意見が多かったそうです。けれど、実験の結果は意外なものでした。より幸福だと感じたのは、自分のためではなく他人のためにお金を使った学生。しかも面白いことに、それは5ドルでも20ドルでも変わりませんでした。つまり、金額の大小ではなく「他人のためにお金を使った」という行為自体に満足感を覚えた学生が多かったのです。先ごろ夫を亡くされた女性が「一人の食事は本当に味気ない」としみじみ話していました。夫が健在だったときは毎日の食事作りが面倒で、一人ならどんなに楽かと思っていたそうです。でも本当に一人になってしまったら、うまいだのまずいだの言ってくれる人がいなくなり、食事を作る張り合いもなくなって手抜きご飯になっているとか。「自分のためだけってむなしいものですね。誰かのためと思えばこそ、やる気が出るんですね」。誰かの役に立っている。誰かが喜んでくれている。そこに幸せを感じてやる気になるのは、国も人種も性別も立場も超えた、人としての普遍的な感情なのでしょう。歌手や講師など大勢の前に立つ人は、客席の誰か一人をこっそり選んで、その人に向けるつもりで歌ったり話したりすることがあるそうです。「今日はこの人のために」と心で思うことで、自然と笑顔になれるし気持ちも込めやすくなるというのは、商売をしている人ならお分かりでしょう。漠然と「お客さまのために」と思うより、「○○さんのために」とその人の顔を思い浮かべると良い商売ができそうですね。

【楽観主義でいこう!】《平成30年10月掲載》

その出来事をどう捉えるか――。これは本人の性格や状況、もっと高い視点でいえば、その人の哲学によって出来事の受け止め方は変わってきます。例えば、1万円を失くしてしまったら、多くの人は「もったいない。どうして気付かなかったんだ」と悔しがって嘆くでしょう。ところが、ある社長は1万円を失くしたことに気付いた瞬間こそ「あぁ・・・」としょんぼりしたものの、そのすぐあとに「だけど私の1万円は拾った人の役に立つだろうから、それでいい」と笑っていたそうです。彼は普段から何かにつけてそんな調子だとか。思うように事が運ばなくても「そんなこともあるよね」と笑い飛ばし、アクシデントに見舞われても「こんなこと、めったに体験できないから」とアクシデント自体を楽しんでしまう。良くも悪くもあまり物事にこだわらず、執着しないたちなのでしょう。その楽観主義が周囲を和ませるのか、彼の周りにはいつも人が集まってきます。人が集まるところにはお金も集まってくるので、彼の商売が順調なのも自然の成り行きなのでしょう。

よく言われる例えですが、失敗を「失敗」だと思わずに「経験」だと捉えれば、クヨクヨ悩まずにすみます。こんな楽観主義を「能天気」だ「お気楽」だと批判する人もいますが、脳科学者の茂木健一郎氏の著書『脳を活かす仕事術』によれば、「脳は楽観主義でちょうどいい」そうです。脳がうまく働くにはある程度、楽観主義なほうがいいという意見には経験的に思い当たる節もあり、何でも捉え方次第だと改めて痛感しました。早いもので今年も2カ月となりました。残りの日々を横目で見ながら1年のまとめに入っている気の早い人もいるでしょう。節目のタイミングでは、出来事を「良かった」「悪かった」の二分法で考えがちですが、「良い」「悪い」の判断より、色々あったけれど何とかやっていることに目を向けてみるのも悪くありません。思い悩んでもすべて過ぎてしまったこと。やり直せない過去にこだわれば、執着する分だけ未来に暗い影が差します。バランスのよい楽観主義でいきたいものですね。

【どこにお金をかけますか?】《平成30年9月掲載》

入ってくるお金を増やすか、出ていくお金を減らすか。これは商売を改善するためのひとつの考え方です。入ってくるお金が増えなければ、出ていくお金を抑えるしかないと節約に励む家庭の主婦同様、商売でもコスト削減は必須ですが、むやみなコスト削減は社内の士気を下げ、社員のやる気が低下すれば生産効率も低下します。どこを削って、どこにお金をかけるのか。その見極めに悩む経営者は、節約上手な主婦の発想を参考にしてはどうでしょうか。

家庭の主婦であれば、どんな状況下でもまず守るべきは家族だとしっかり認識しています。家族を守ることの筆頭は健康です。どんなに食費を切り詰めても、その範囲で可能な栄養バランスを考え、節約料理のバリエーションに知恵を絞ります。今はディズニーランドに行けなくても、健康でさえあればいつか家族全員でミッキーマウスと記念写真を撮れるでしょう。その日のために家族の健康を守るべく、主婦は今日もチラシをくまなくチェックして、低値を求めて遠いスーパーまで自転車を走らせるのです。商売が繁盛しているある会社の社長は、さぞかし豪華だろうと思いきや、外観も室内も拍子抜けするほど地味で殺風景。その理由を尋ねると「お客さまへのサービス提供と関係ないものには一切お金を使わない主義なんです」とのこと。例えば会社の内装にお金をかけてしまうと、提供するサービスの価格も高くしなくてはならない。価格を高くすれば宣伝広告も必要となり、それに伴い仕事量が増えてしまう。その社長は効率を重視した仕事ぶりで知られていますが、顧客のためにならない出費はしないというポリシーが効率化の最大の柱だそうです。あなたは、誰のためなら節約料理のバリエーションを増やそうと思えますか?何のためなら遠くのスーパーまで自転車を走らせることができますか?節約上手な主婦の発想を参考にすれば、最終的な目的を明確にすることで、お金をかけるところ・削るところの見極めがつくのではないでしょうか。

【フーテンの寅さんから商売を学べ】《平成30年8月掲載》

「わたくし、生まれも育ちも東京葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎。人呼んでフーテンの寅と発します」。テンポの良いおなじみの名セリフを懐かしく思い出す方も多いでしょう。22年前に渥美清さんが亡くなったとき、フランスのル・モンド誌は「下町の英雄、寅さん逝く」と題した渥美清さんの評伝を掲載しました。鞄ひとつで日本全国を気ままに旅する寅さんは、日本人が憧れる「小さな自由」を映画の中で具現していると述べ、寅さんを演じた渥美さんを「劇中の人物になりきったまれな役者」と高く評価しました。寅さんのあの自由さはどこからやって来るのか。「フーテン」とは仕事も学業もしないでブラブラしている人のことですが、寅さんは、実はたいした商売人だったのではないでしょうか。『男はつらいよ 拝啓車寅次郎様』にこんなシーンがありました。靴の会社で営業をしているおいっ子の満男が、仕事がつまらないと愚痴をこぼします。それを聞いた寅さんは、そのへんにあった鉛筆を満男に渡して「オレに売ってみな」と言うのです。満男はしぶしぶと「この鉛筆を買ってください」と寅さんにセールスをします。「消しゴムつきですよ」と特長をアピールしますが「僕は字を書かないから鉛筆なんて必要ありません」とすげなく断られてしまいます。満男が「こんな鉛筆は売りようがない」とさじを投げると、寅さんは満男から鉛筆を取り上げて「この鉛筆を見るとな、おふくろのことを思い出してしょうがねぇんだ」と、鉛筆にまつわる話をしみじみと語り始めました。もちろん即興の作り話ですが、これが実にうまいのです。細い目をもっと細めて、本当に懐かしそうに鉛筆を見ながら情感たっぷりにあの名調子で語ると、その場にいた家族全員が寅さんの話に心を奪われ、みんなその鉛筆が欲しくなってしまうのでした。鉛筆を「モノ」として売ろうとした満男と、鉛筆の「価値」を伝えた寅さん。つまり寅さんは、物を売るとはどういうことかを満男に実演して見せたのです。「どんな価値をつけるのか」今一度、自身の商売を見つめ直してみたいですね。

【商売のT/R比バランスは保たれていますか?】《平成30年7月掲載》

夏の日差しを受けて植物がぐんぐんと育つ季節。見上げるほどの大木を見ると、さぞかし根っこも立派なのだろうと想像します。植物の世界には「T/R比」という法則があります。地上に見えている幹や茎や葉の部分(Top)と、地下にある根っこの部分(Root)の重さの比率はほぼ一定のバランスを保っているという法則です。健全に育っている植物のT/R比は3~4。もしも根っこが切れてしまったら、樹木は自ら枝葉を落として正常なT/R比を保とうとするそうです。

逆に枝葉が折れてしまったら根の量を減らしてバランスを保つという自然界の不思議な法則です。地上に見えている部分は全体の7割くらいですが、大きな木を支えているのは言うまでもなく根っこの部分。見えていない3割が地下で木を支えているわけです。根っこが十分に発達していないと木は倒れてしまいます。

地下で根っこが深く広く根ざしていくほどに、地上では幹や葉っぱが縦に横にと伸びていく。

書籍『奇跡のりんご』で知られる木村秋則さんが「植物を手本にして生きれば、間違いない」と言うように、植物だけでなく勉強でもスポーツでも商売でも、根っこがしっかりしていることはとても重要です。

けれど、どうしても表面的なものを求めたり、目先のお金を追いかけてしまったりと、枝葉にばかり意識が向いてしまうことはありませんか。

それは商売のT/R比が崩れている状態でしょう。一見、華やかな成功を収めている人が、実は陰で人の何倍も努力していたという話は美談で終わりがちですが、表面的な結果が大きければ大きいほど見えないところでしっかりと根を張っていることを、改めて心に刻んでおきたいものです。

ところで「大地にしっかり根を張って」という話をすると、その大地がもともと荒れ果てていたら根の張りようがないと返す人がいます。何でも環境のせいにしていては、根を張る前に種まきさえもできません。数ミリでも隙あらばコンクリートの割れ目からも顔を出す雑草のたくましさがまぶしく感じられます。

【非常識から学べ】《平成30年6月掲載》

観光庁によれば平成29年の訪日客消費額は初の4兆円超えで、過去最高を更新しました。外国人をターゲットにしたインバウンドビジネスは今後も伸びていくことが予想され、貴社の商売でも外国人と接する機会が今まで以上に増えるかもしれません。外国人が相手だと真っ先に言葉の壁を心配する人が多いようですが、言葉以上に悩ましいのは常識の違いでしょう。小売業を営むA氏は身をもってそれを実感したばかりです。A氏が取引先を招いてホームパーティーを開いたときのこと。表向きはざっくばらんな懇親会でしたが、実は新規の取引先であるブラジル人のS氏のサプライズパーティーでもありました。S氏には「午後1時に来てね」と伝えておき、他の人たちは先に集まってS氏を歓迎しようという計画でした。ところがS氏は30分も遅れて来たのです。しかも悪びれた様子はまったくありません。A氏は思わず感情的になって、約束に遅れて来たS氏を非常識だと責めました。しかしS氏は相手が何に腹を立てているのかまったく理解できず、しばらく面食らっていたそうです。ブラジルでは、内輪のパーティーに呼ばれたら始まりの時間より30分ほど遅れて行くのがマナーだったのです。

それは、相手が急いで用意をしなくても済むようにという心遣いでもあり、1時間くらい遅れて行く人も少なくないのだとか。つまりS氏は遅れてしまったのではなく、マナーとしてあえて遅れて来たのでした。約束の時間を守るのが当たり前だという日本と、遅れて行くのが当たり前だというブラジル。後日、その事実を知ったA氏は「当たり前」が違う同士でお互いを非常識だと非難するのは、それこそ非常識というものだったと深く反省したそうです。

国が違えば常識も違う。国が同じでも人の数だけ常識がある。分かっているつもりでも、つい自分の常識が万国共通だと思ってしまうことがあります。時に常識を疑うことも必要だろう。これがA氏にとっての商売の新常識となったようです。

【大満商売より小満商売】《平成30年5月掲載》

北海道では春の息吹を感じ、沖縄では初夏を迎える5月。日本全国いたるところで体中に力みなぎる季節になりました。5月21日頃は二十四節気の「小満」(しょうまん)にあたります。小満とは、万物に生気が充満し、果実が実り草木が繁るという意味で、自然界の全てのものが次第に満ちてくることから小満といわれます。田畑からの収穫を生活の糧にしていた昔の人にとって、農作物の出来・不出来は死活問題でした。5月の半ば過ぎは前の年の秋にまいた麦などに穂がつく頃。無事に穂がつくと「今のところは順調だ。よかった、よかった」とひと安心(少し満足)したことが小満の由来のひとつだともされています。

ところで、二十四節気には「小暑」に対する「大暑」があり、「小寒」に対する「大寒」があります。しかし「小満」の対になる「大満」はありません。小満が「ひと安心」なら、大満は「心配事が何もない満足しきった状態」とでもなるのでしょうか。自然は慈母のようなやさしい面を持つ一方で、暴君のような怖さも、情け容赦のない厳しさもあります。今よりずっと自然に寄り添って暮らしていた昔の人々は、自然の二面性を肌身でしっかり感じていたからこそ、暦に大満がないのかもしれないと勝手に想像してみました。

話を現代に移しましょう。現代人の小満は「ひと安心の少し満足」ではなく「少々不満」になっているような気がします。今のところは順調でもそれだけでは満足できず、先の先まで順調であろうとしたり不安になったり。待つことを嫌い、結果を先に知りたがり、麦の穂が出るのは当たり前だと思って感謝を忘れてしまう。私たちは知らず知らずのうちに大満を追い求めてきたのではないでしょうか。

これが仕事であれば日々、何の心配もなく十分満たされた「大満商売」は理想的かもしれません。けれど何事も陰陽、表裏一体だと思えば「ありがたい、ありがたい」とひと安心して感謝する「小満商売」でありたいと、薫風に吹かれながら思うのでした。

【信頼と信用が崩壊するとき】《平成30年4月掲載》

A氏がクリーニングに出したジャケットが破損して戻ってきたそうです。あらかじめ破損の可能性を知らされていたので仕方ないと納得したものの「こんなにひどいヒビ割れは今まで見たことがない」と受け付けの店員も驚くほどの状態なのに、取りに行くまで何の連絡もなかったことにA氏は違和感を覚えたそうです。A氏も会社を経営する立場。トラブルの対処は初動が肝心だと常々肝に銘じています。そこで、その店員に「こういう場合はどうされるのですか?」と聞いてみると「弁償はできませんがクリーニング代をお返しして、ご迷惑料として一律5000円をお支払いしています」とのこと。

今まで見たこともないくらいひどい状態だと言いながら「一律」とは・・・。

どんな会社なのか逆に興味がわいたA氏は「弁償は望みませんが、上の方から一度お電話いただけませんか」とお願いしてみました。その翌日、クリーニング店からの電話に出られなかったA氏がコールバックすると、電話口の人が明るく元気にこう言ったそうです。「あのクレーマーの方ですね!」。店員にまったく悪気がないのは分かりました。このクリーニング店では、店員同士が「クレーマー」という言葉を日常的に気軽に使っているのだろうと感じられたからです。裏では「お客」、表では「お客さま」。それと同じノリで「クレーマー」に「方」を付けて「クレーマーの方」というおかしな言葉を編み出したのだろうと想像し、A氏は怒るというより笑ってしまったそうです。そして同時に、これが自分の会社だったらと考えて背筋がゾッとしたのです。会社が築いてきた信頼や信用は、たった一人の、たった一言で、いとも簡単に失われてしまうことがあります。A氏は朝礼で「日頃の自分が仕事にも表れます。日常こそ自分を磨く場です」と話し、自分も襟を正したのでした。

ところで、経営者にとって世にも怖い話の結末は、クリーニング代の返金と、茶封筒からおもむろに取り出された迷惑料1万円。結局オーナーは登場せず、A氏は言われるままに1万円の領収書を書いたそうです。

【おなかが空けば、ごはんはおいしい】《平成30年3月掲載》

知人の家の裏庭に、ときどき野良猫の親子がやって来るそうです。親猫はガリガリに痩せており、2匹の子猫はどちらも片目がつぶれていて、おそらく病気にかかっているとのこと。知人は子猫を病院に連れて行こうか迷ったそうですが、一時期でも親猫から引き離すことが良いことなのかどうか考えた末に、黙って見守ることにしました。雨の日には裏庭の物陰に3匹で寄り添い、晴れた日には陽当たりの良い場所でのんびり昼寝を楽しむ親猫の周りで、子猫たちがじゃれて遊び回っているとか。その様子を見て知人は思ったそうです。今の時代、野良猫として生きていくのも大変だろうに、親猫は親としての役目を淡々と果たし、子猫は明日のことなど知るよしもなく今に遊ぶ。どうやら小さな出来事に右往左往しているのは人間だけかもしれない・・・。

ロシアの作家チェーホフは、44歳で亡くなる5カ月前に、かつての恋人リージャ・アヴィーロヴァに手紙を送りました。「ごきげんよう。なによりも、快活でいらっしゃるように。人生をあまり難しく考えてはいけません。おそらくほんとうはもっとずっと簡単なものなのでしょうから」。

チェーホフが言うように、人生は自分で考えているよりもずっとシンプルなのかもしれません。そんなシンプルな人生をわざわざ複雑にしているのは、他でもない自分自身でしょう。商売で成功する秘訣(ひけつ)、幸せになる方法、ちまたにあふれる色々なノウハウは人生を豊かにする手助けのように見えて、実は自分を余計に惑わせる足かせになっている場合もあります。楽しい人生にしたければ、ノウハウを学ぶよりシンプルに生きればいいという、実に単純明快なメッセージをチェーホフは残してくれました。役に立ちたい。面白そうだ。やってみたい。純粋な動機で始めたことが、いつの間にか、おなか一杯なのに「おかわり!」と叫ぶようなことになっていませんか。何事も深刻になり過ぎるのはよくありません。おなかが空けば、ごはんはおいしい。至ってシンプルな原理ですね。

【こぶしが咲けば春が来る】《平成30年2月号掲載》

早春の頃、ほかの木に先駆けて白い花をこずえいっぱいに咲かせるこぶし。直径10cm程の大きな花は、新葉より早く開花します。「こぶし咲く、あの丘、北国の、ああ北国の春」。千昌夫さんの『北国の春』の歌詞でもおなじみの花です。東北地方では、こぶしの花が咲き出すともうすぐ春がやって来ます。寒い冬を乗り越えてきた北国の人々は、こぶしの花が咲く日を今か今かと待ち望んでいます。

昔はこぶしの花の開花時期から農作業のタイミングを判断したり、花の向きから豊作かどうかを占ったりしたそうです。そのためこぶしは「田打ち桜」「田植え桜」「種まき桜」などとも呼ばれています。

昔の人は季節の変化(自然現象)から農作業の時期を判断していました。植物がそれぞれの特性に適した季節に開花することを体験的に知っていたのでしょう。子孫を残すために不可欠な植物の知恵が、人間の生活の知恵にもなっていたのです。

多くの植物がそれぞれ決まった時期に花を咲かせるのは、昼と夜の長さから季節を認識して反応する「光周性」という現象によるものだそうです。植物の光周性はきわめて繊細で、明るい時間と暗い時間の差が30分程度あれば敏感に反応するのだとか。夜間でも温室内に照明をつけて日長を調節すると植物は季節を勘違いします。季節外れの花や野菜が店頭に並ぶのは植物の光周性を利用した人間の知恵であり、見方を変えれば人間の欲でもあります。

その昔、自然と人間は今より良い関係でした。私たちの祖先は自然を尊重し、敬意を払い、恵みに感謝しながら自然の知恵をお借りしていたのでしょう。春が近づけば自然とこぶしの花が咲くように、何事にもそれに相応しい時期があるものです。真夏にこぶしを咲かせようとすればしっぺ返しをくらうかもしれません。欲も行き過ぎれば商機を逸してしまいます。何事にも焦ることなく、知恵で商機を見出したいものですね。

【商売はケ・セラ・セラ】《平成30年1月号掲載》

ヒッチコック監督のサスペンス映画『知りすぎていた男』では、ドリス・デイの歌う『ケ・セラ・セラ』が物語のラストに向けた重要な糸口になっていました。「大きくなったらきれいになれる?お金持ちになれる?」そう尋ねる女の子にママや学校の先生は言います。「ケ・セラ・セラ、なるようになる」。大人になると恋人にも聞きます。「幸せな未来が待っているの?」。恋人の答えも「ケ・セラ・セラ」。彼女が子どもを授かると、今度は子どもが尋ねます。「私はきれいになれる?」。「ケ・セラ・セラ、先のことなんて分からない、なるようになるわ」。小気味よいストーリーも巧みですが『ケ・セラ・セラ』はそれ以上の印象を残して映画は幕を閉じます。

「一休さん」の愛称で親しまれた一休和尚は遺言状を書いてこの世を去りましたが「大きな問題が起こるで決して読むな」と言い残したそうです。弟子の僧侶たちは教えを守り、遺言状が開封されたのは一休和尚の死からしばらく経ってからのこと。大きな問題に直面していた僧侶たちがすがる思いで開いた遺言状には、こう書かれていたそうです。「なるようになる。心配するな」。とんち好きだった一休和尚らしい逸話です。

「なるようになる」といえば、沖縄の方言の「なんくるないさぁ」が思い出されます。「なるようになる」とか「なんとかなる」という意味で知られていますが、沖縄の人に言わせると、生きていく辛さの中から生まれた深くて力強い言葉だそうです。ままならない世の中でも私たちは生きていかなくてはなりません。でも、誠実に真剣に生きていればきっとうまくいく。それを信じる気持ちが「なんくるないさぁ」なのでしょう。時代の変化のスピードは加速度を増し、商売のやり方も人の考え方も変わってきました。「今しかない」といいますが、本当になんとかできるのは、まさに「今の自分」のことだけでしょう。商売に正解はありません。うまくいかないときも「なるようになる」の精神で、今の自分にできることに集中したいものですね。

【夢は本当にかなうのかな?】《平成29年12月号掲載》

ある人から次のような話を聞きました。小学4年生のK子ちゃんは「私の夢はイルカの調教師」という作文を書いたそうです。けれど書き終えた後「夢って本当にかなうものなのかな?どうしたら夢がかなうのかな?」という不安と疑問を持った彼女は、夏休みの自由研究のテーマを「夢は本当にかなうのかな?」に決めたそうです。夢について書かれた本を読んだり、夢をかなえた有名人をインターネットで調べたりしました。また「夢はかないましたか?」というアンケートを自分で作っていろいろな職業の人に書いてもらったり、直接話を聞いたりして自由研究をまとめたそうです。

ノーベル賞を受賞した山中伸弥教授の本を読んで「どんどん試して失敗することが大切です」という言葉に勇気をもらったK子ちゃんは、京都大学iPS細胞研究所を訪ね、国際広報室の人にも話を聞いたようです。果たしてK子ちゃんの結論はどうだったのでしょう。

「夢はかなう。けれど夢はかなえるもの」これがK子ちゃんの研究成果でした。夢をかなえるために必要なのは準備や行動だけでなく、まずは楽しむこと。好きなことにアンテナを張って毎日を生き生き過ごすこと。やりたいことが見付かったら日付を決めて「夢」を「目標」に変え、その目標に向かって努力すること。失敗も大事な経験だから挑戦すること。さらには福沢諭吉の『学問のすゝめ』から「学問に入らば大いに学問すべし。農たらば大農となれ、商たらば大商となれ」という一文を引いて「どうせやるならとことんやろう。こうして夢はかなうのです」とまとめています。

K子ちゃんのアンケートには「夢をかなえるために必要なことをひとつ教えてください」という質問があるそうです。あなたなら何と答えるでしょう。「81%以上の人が夢がかなっています。これはキラキラした明るい事実です」というK子ちゃんの言葉に背中を押されるのは、むしろ大人たちかもしれませんね。子どもたちに「夢はかなうよ」と言える大人でありたいと思った年の瀬です。

【「ぶれない信念」という信念】《平成29年11月号掲載》

会社というのは与えられた仕事を単にこなす場所ではなく、その人の夢や信念を果たす場所なのです――。ザ・リッツ・カールトン・ホテルの創業に参画したホルスト・シュルツ氏の言葉です。信念は成功に欠かせない要素だと昔からよくいわれます。経営者セミナーに参加したS氏もその場で信念の重要性をたたきこまれ帰宅後、すぐ毛筆で「ぶれない信念」と書いて壁に貼り、毎朝毎晩「ぶれない信念」と胸に刻んでいたそうです。しばらくして同窓会に参加したS氏は、懐かしいクラスメイトたちに「やっぱりね、商売は信念が大事なんだよ」と熱く語っていたところ、その中の一人からこんな質問を受けたそうです。

「ところで、お前の信念って何?」「おっ、いい質問だね」張り切って答えようとしたS氏ですが、なぜか言葉が続きません。そのとき初めて気が付きました。肝心の信念が・・・ない!「ぶれない信念」のインパクトが強烈だったのか、「ぶれない信念」という言葉自体が信念になってしまい、肝心要の信念の中身がカラッポだったのです。

こういう人いるいる!と言いたいところですが、実は誰にでもよくあることなのです。朝礼で「今は大変な時期ですが、この状況から決して逃げ出さず、信念を持って努力を続ければ必ず道は開けると神事ています」と社員を鼓舞する社長。わが社の信念、自分の信念、ちゃんと理解して話しているでしょうか。その信念を社員と共有できていますか。「よし頑張るぞ!」「何を?」「何だっけ?」みたいなことになっていないでしょうか。元リコー会長の桜井正光氏もかつて「トップが何事かを決断する場合、情熱と信念を持って自分の考えを説かなければ人はついてこない」とおっしゃいました。欧州でのビジネス経験が長かった桜井氏は「環境への配慮は企業の競争力強化につながる」との信念を持つようになり、その信念のもとで環境経営を加速したそうです。「ぶれない信念」が信念になっていないか今一度、自分と向き合ってみたいですね。

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