「商売のヒント」

経営に関するヒントや考え方など毎月掲載しています。

【あなただけのために】《平成30年11月号掲載》

以前、カナダのある大学が面白い実験をしました。学生46人に5ドルまたは20ドルを渡して複数のグループに分け、夕方5時までにお金を使うように命じました。ただし、あるグループには家賃の支払いなど自分のために使うように指示し、残りのグループには他人のためにお金を使うか慈善団体に寄付するように指示しました。つまり、自分のためにお金を使うか、他人のためにお金を使うかの違いです。さて、より幸福だと感じたのはどのグループの学生だったでしょう。事前に学生が予想したところ、自分のために20ドル使うグループの学生が一番幸福感を得るだろうという意見が多かったそうです。けれど、実験の結果は意外なものでした。より幸福だと感じたのは、自分のためではなく他人のためにお金を使った学生。しかも面白いことに、それは5ドルでも20ドルでも変わりませんでした。つまり、金額の大小ではなく「他人のためにお金を使った」という行為自体に満足感を覚えた学生が多かったのです。先ごろ夫を亡くされた女性が「一人の食事は本当に味気ない」としみじみ話していました。夫が健在だったときは毎日の食事作りが面倒で、一人ならどんなに楽かと思っていたそうです。でも本当に一人になってしまったら、うまいだのまずいだの言ってくれる人がいなくなり、食事を作る張り合いもなくなって手抜きご飯になっているとか。「自分のためだけってむなしいものですね。誰かのためと思えばこそ、やる気が出るんですね」。誰かの役に立っている。誰かが喜んでくれている。そこに幸せを感じてやる気になるのは、国も人種も性別も立場も超えた、人としての普遍的な感情なのでしょう。歌手や講師など大勢の前に立つ人は、客席の誰か一人をこっそり選んで、その人に向けるつもりで歌ったり話したりすることがあるそうです。「今日はこの人のために」と心で思うことで、自然と笑顔になれるし気持ちも込めやすくなるというのは、商売をしている人ならお分かりでしょう。漠然と「お客さまのために」と思うより、「○○さんのために」とその人の顔を思い浮かべると良い商売ができそうですね。

【楽観主義でいこう!】《平成30年10月掲載》

その出来事をどう捉えるか――。これは本人の性格や状況、もっと高い視点でいえば、その人の哲学によって出来事の受け止め方は変わってきます。例えば、1万円を失くしてしまったら、多くの人は「もったいない。どうして気付かなかったんだ」と悔しがって嘆くでしょう。ところが、ある社長は1万円を失くしたことに気付いた瞬間こそ「あぁ・・・」としょんぼりしたものの、そのすぐあとに「だけど私の1万円は拾った人の役に立つだろうから、それでいい」と笑っていたそうです。彼は普段から何かにつけてそんな調子だとか。思うように事が運ばなくても「そんなこともあるよね」と笑い飛ばし、アクシデントに見舞われても「こんなこと、めったに体験できないから」とアクシデント自体を楽しんでしまう。良くも悪くもあまり物事にこだわらず、執着しないたちなのでしょう。その楽観主義が周囲を和ませるのか、彼の周りにはいつも人が集まってきます。人が集まるところにはお金も集まってくるので、彼の商売が順調なのも自然の成り行きなのでしょう。

よく言われる例えですが、失敗を「失敗」だと思わずに「経験」だと捉えれば、クヨクヨ悩まずにすみます。こんな楽観主義を「能天気」だ「お気楽」だと批判する人もいますが、脳科学者の茂木健一郎氏の著書『脳を活かす仕事術』によれば、「脳は楽観主義でちょうどいい」そうです。脳がうまく働くにはある程度、楽観主義なほうがいいという意見には経験的に思い当たる節もあり、何でも捉え方次第だと改めて痛感しました。早いもので今年も2カ月となりました。残りの日々を横目で見ながら1年のまとめに入っている気の早い人もいるでしょう。節目のタイミングでは、出来事を「良かった」「悪かった」の二分法で考えがちですが、「良い」「悪い」の判断より、色々あったけれど何とかやっていることに目を向けてみるのも悪くありません。思い悩んでもすべて過ぎてしまったこと。やり直せない過去にこだわれば、執着する分だけ未来に暗い影が差します。バランスのよい楽観主義でいきたいものですね。

【どこにお金をかけますか?】《平成30年9月掲載》

入ってくるお金を増やすか、出ていくお金を減らすか。これは商売を改善するためのひとつの考え方です。入ってくるお金が増えなければ、出ていくお金を抑えるしかないと節約に励む家庭の主婦同様、商売でもコスト削減は必須ですが、むやみなコスト削減は社内の士気を下げ、社員のやる気が低下すれば生産効率も低下します。どこを削って、どこにお金をかけるのか。その見極めに悩む経営者は、節約上手な主婦の発想を参考にしてはどうでしょうか。

家庭の主婦であれば、どんな状況下でもまず守るべきは家族だとしっかり認識しています。家族を守ることの筆頭は健康です。どんなに食費を切り詰めても、その範囲で可能な栄養バランスを考え、節約料理のバリエーションに知恵を絞ります。今はディズニーランドに行けなくても、健康でさえあればいつか家族全員でミッキーマウスと記念写真を撮れるでしょう。その日のために家族の健康を守るべく、主婦は今日もチラシをくまなくチェックして、低値を求めて遠いスーパーまで自転車を走らせるのです。商売が繁盛しているある会社の社長は、さぞかし豪華だろうと思いきや、外観も室内も拍子抜けするほど地味で殺風景。その理由を尋ねると「お客さまへのサービス提供と関係ないものには一切お金を使わない主義なんです」とのこと。例えば会社の内装にお金をかけてしまうと、提供するサービスの価格も高くしなくてはならない。価格を高くすれば宣伝広告も必要となり、それに伴い仕事量が増えてしまう。その社長は効率を重視した仕事ぶりで知られていますが、顧客のためにならない出費はしないというポリシーが効率化の最大の柱だそうです。あなたは、誰のためなら節約料理のバリエーションを増やそうと思えますか?何のためなら遠くのスーパーまで自転車を走らせることができますか?節約上手な主婦の発想を参考にすれば、最終的な目的を明確にすることで、お金をかけるところ・削るところの見極めがつくのではないでしょうか。

【フーテンの寅さんから商売を学べ】《平成30年8月掲載》

「わたくし、生まれも育ちも東京葛飾柴又です。帝釈天で産湯を使い、姓は車、名は寅次郎。人呼んでフーテンの寅と発します」。テンポの良いおなじみの名セリフを懐かしく思い出す方も多いでしょう。22年前に渥美清さんが亡くなったとき、フランスのル・モンド誌は「下町の英雄、寅さん逝く」と題した渥美清さんの評伝を掲載しました。鞄ひとつで日本全国を気ままに旅する寅さんは、日本人が憧れる「小さな自由」を映画の中で具現していると述べ、寅さんを演じた渥美さんを「劇中の人物になりきったまれな役者」と高く評価しました。寅さんのあの自由さはどこからやって来るのか。「フーテン」とは仕事も学業もしないでブラブラしている人のことですが、寅さんは、実はたいした商売人だったのではないでしょうか。『男はつらいよ 拝啓車寅次郎様』にこんなシーンがありました。靴の会社で営業をしているおいっ子の満男が、仕事がつまらないと愚痴をこぼします。それを聞いた寅さんは、そのへんにあった鉛筆を満男に渡して「オレに売ってみな」と言うのです。満男はしぶしぶと「この鉛筆を買ってください」と寅さんにセールスをします。「消しゴムつきですよ」と特長をアピールしますが「僕は字を書かないから鉛筆なんて必要ありません」とすげなく断られてしまいます。満男が「こんな鉛筆は売りようがない」とさじを投げると、寅さんは満男から鉛筆を取り上げて「この鉛筆を見るとな、おふくろのことを思い出してしょうがねぇんだ」と、鉛筆にまつわる話をしみじみと語り始めました。もちろん即興の作り話ですが、これが実にうまいのです。細い目をもっと細めて、本当に懐かしそうに鉛筆を見ながら情感たっぷりにあの名調子で語ると、その場にいた家族全員が寅さんの話に心を奪われ、みんなその鉛筆が欲しくなってしまうのでした。鉛筆を「モノ」として売ろうとした満男と、鉛筆の「価値」を伝えた寅さん。つまり寅さんは、物を売るとはどういうことかを満男に実演して見せたのです。「どんな価値をつけるのか」今一度、自身の商売を見つめ直してみたいですね。

【商売のT/R比バランスは保たれていますか?】《平成30年7月掲載》

夏の日差しを受けて植物がぐんぐんと育つ季節。見上げるほどの大木を見ると、さぞかし根っこも立派なのだろうと想像します。植物の世界には「T/R比」という法則があります。地上に見えている幹や茎や葉の部分(Top)と、地下にある根っこの部分(Root)の重さの比率はほぼ一定のバランスを保っているという法則です。健全に育っている植物のT/R比は3~4。もしも根っこが切れてしまったら、樹木は自ら枝葉を落として正常なT/R比を保とうとするそうです。

逆に枝葉が折れてしまったら根の量を減らしてバランスを保つという自然界の不思議な法則です。地上に見えている部分は全体の7割くらいですが、大きな木を支えているのは言うまでもなく根っこの部分。見えていない3割が地下で木を支えているわけです。根っこが十分に発達していないと木は倒れてしまいます。

地下で根っこが深く広く根ざしていくほどに、地上では幹や葉っぱが縦に横にと伸びていく。

書籍『奇跡のりんご』で知られる木村秋則さんが「植物を手本にして生きれば、間違いない」と言うように、植物だけでなく勉強でもスポーツでも商売でも、根っこがしっかりしていることはとても重要です。

けれど、どうしても表面的なものを求めたり、目先のお金を追いかけてしまったりと、枝葉にばかり意識が向いてしまうことはありませんか。

それは商売のT/R比が崩れている状態でしょう。一見、華やかな成功を収めている人が、実は陰で人の何倍も努力していたという話は美談で終わりがちですが、表面的な結果が大きければ大きいほど見えないところでしっかりと根を張っていることを、改めて心に刻んでおきたいものです。

ところで「大地にしっかり根を張って」という話をすると、その大地がもともと荒れ果てていたら根の張りようがないと返す人がいます。何でも環境のせいにしていては、根を張る前に種まきさえもできません。数ミリでも隙あらばコンクリートの割れ目からも顔を出す雑草のたくましさがまぶしく感じられます。

【非常識から学べ】《平成30年6月掲載》

観光庁によれば平成29年の訪日客消費額は初の4兆円超えで、過去最高を更新しました。外国人をターゲットにしたインバウンドビジネスは今後も伸びていくことが予想され、貴社の商売でも外国人と接する機会が今まで以上に増えるかもしれません。外国人が相手だと真っ先に言葉の壁を心配する人が多いようですが、言葉以上に悩ましいのは常識の違いでしょう。小売業を営むA氏は身をもってそれを実感したばかりです。A氏が取引先を招いてホームパーティーを開いたときのこと。表向きはざっくばらんな懇親会でしたが、実は新規の取引先であるブラジル人のS氏のサプライズパーティーでもありました。S氏には「午後1時に来てね」と伝えておき、他の人たちは先に集まってS氏を歓迎しようという計画でした。ところがS氏は30分も遅れて来たのです。しかも悪びれた様子はまったくありません。A氏は思わず感情的になって、約束に遅れて来たS氏を非常識だと責めました。しかしS氏は相手が何に腹を立てているのかまったく理解できず、しばらく面食らっていたそうです。ブラジルでは、内輪のパーティーに呼ばれたら始まりの時間より30分ほど遅れて行くのがマナーだったのです。

それは、相手が急いで用意をしなくても済むようにという心遣いでもあり、1時間くらい遅れて行く人も少なくないのだとか。つまりS氏は遅れてしまったのではなく、マナーとしてあえて遅れて来たのでした。約束の時間を守るのが当たり前だという日本と、遅れて行くのが当たり前だというブラジル。後日、その事実を知ったA氏は「当たり前」が違う同士でお互いを非常識だと非難するのは、それこそ非常識というものだったと深く反省したそうです。

国が違えば常識も違う。国が同じでも人の数だけ常識がある。分かっているつもりでも、つい自分の常識が万国共通だと思ってしまうことがあります。時に常識を疑うことも必要だろう。これがA氏にとっての商売の新常識となったようです。

【大満商売より小満商売】《平成30年5月掲載》

北海道では春の息吹を感じ、沖縄では初夏を迎える5月。日本全国いたるところで体中に力みなぎる季節になりました。5月21日頃は二十四節気の「小満」(しょうまん)にあたります。小満とは、万物に生気が充満し、果実が実り草木が繁るという意味で、自然界の全てのものが次第に満ちてくることから小満といわれます。田畑からの収穫を生活の糧にしていた昔の人にとって、農作物の出来・不出来は死活問題でした。5月の半ば過ぎは前の年の秋にまいた麦などに穂がつく頃。無事に穂がつくと「今のところは順調だ。よかった、よかった」とひと安心(少し満足)したことが小満の由来のひとつだともされています。

ところで、二十四節気には「小暑」に対する「大暑」があり、「小寒」に対する「大寒」があります。しかし「小満」の対になる「大満」はありません。小満が「ひと安心」なら、大満は「心配事が何もない満足しきった状態」とでもなるのでしょうか。自然は慈母のようなやさしい面を持つ一方で、暴君のような怖さも、情け容赦のない厳しさもあります。今よりずっと自然に寄り添って暮らしていた昔の人々は、自然の二面性を肌身でしっかり感じていたからこそ、暦に大満がないのかもしれないと勝手に想像してみました。

話を現代に移しましょう。現代人の小満は「ひと安心の少し満足」ではなく「少々不満」になっているような気がします。今のところは順調でもそれだけでは満足できず、先の先まで順調であろうとしたり不安になったり。待つことを嫌い、結果を先に知りたがり、麦の穂が出るのは当たり前だと思って感謝を忘れてしまう。私たちは知らず知らずのうちに大満を追い求めてきたのではないでしょうか。

これが仕事であれば日々、何の心配もなく十分満たされた「大満商売」は理想的かもしれません。けれど何事も陰陽、表裏一体だと思えば「ありがたい、ありがたい」とひと安心して感謝する「小満商売」でありたいと、薫風に吹かれながら思うのでした。

【信頼と信用が崩壊するとき】《平成30年4月掲載》

A氏がクリーニングに出したジャケットが破損して戻ってきたそうです。あらかじめ破損の可能性を知らされていたので仕方ないと納得したものの「こんなにひどいヒビ割れは今まで見たことがない」と受け付けの店員も驚くほどの状態なのに、取りに行くまで何の連絡もなかったことにA氏は違和感を覚えたそうです。A氏も会社を経営する立場。トラブルの対処は初動が肝心だと常々肝に銘じています。そこで、その店員に「こういう場合はどうされるのですか?」と聞いてみると「弁償はできませんがクリーニング代をお返しして、ご迷惑料として一律5000円をお支払いしています」とのこと。

今まで見たこともないくらいひどい状態だと言いながら「一律」とは・・・。

どんな会社なのか逆に興味がわいたA氏は「弁償は望みませんが、上の方から一度お電話いただけませんか」とお願いしてみました。その翌日、クリーニング店からの電話に出られなかったA氏がコールバックすると、電話口の人が明るく元気にこう言ったそうです。「あのクレーマーの方ですね!」。店員にまったく悪気がないのは分かりました。このクリーニング店では、店員同士が「クレーマー」という言葉を日常的に気軽に使っているのだろうと感じられたからです。裏では「お客」、表では「お客さま」。それと同じノリで「クレーマー」に「方」を付けて「クレーマーの方」というおかしな言葉を編み出したのだろうと想像し、A氏は怒るというより笑ってしまったそうです。そして同時に、これが自分の会社だったらと考えて背筋がゾッとしたのです。会社が築いてきた信頼や信用は、たった一人の、たった一言で、いとも簡単に失われてしまうことがあります。A氏は朝礼で「日頃の自分が仕事にも表れます。日常こそ自分を磨く場です」と話し、自分も襟を正したのでした。

ところで、経営者にとって世にも怖い話の結末は、クリーニング代の返金と、茶封筒からおもむろに取り出された迷惑料1万円。結局オーナーは登場せず、A氏は言われるままに1万円の領収書を書いたそうです。

【おなかが空けば、ごはんはおいしい】《平成30年3月掲載》

知人の家の裏庭に、ときどき野良猫の親子がやって来るそうです。親猫はガリガリに痩せており、2匹の子猫はどちらも片目がつぶれていて、おそらく病気にかかっているとのこと。知人は子猫を病院に連れて行こうか迷ったそうですが、一時期でも親猫から引き離すことが良いことなのかどうか考えた末に、黙って見守ることにしました。雨の日には裏庭の物陰に3匹で寄り添い、晴れた日には陽当たりの良い場所でのんびり昼寝を楽しむ親猫の周りで、子猫たちがじゃれて遊び回っているとか。その様子を見て知人は思ったそうです。今の時代、野良猫として生きていくのも大変だろうに、親猫は親としての役目を淡々と果たし、子猫は明日のことなど知るよしもなく今に遊ぶ。どうやら小さな出来事に右往左往しているのは人間だけかもしれない・・・。

ロシアの作家チェーホフは、44歳で亡くなる5カ月前に、かつての恋人リージャ・アヴィーロヴァに手紙を送りました。「ごきげんよう。なによりも、快活でいらっしゃるように。人生をあまり難しく考えてはいけません。おそらくほんとうはもっとずっと簡単なものなのでしょうから」。

チェーホフが言うように、人生は自分で考えているよりもずっとシンプルなのかもしれません。そんなシンプルな人生をわざわざ複雑にしているのは、他でもない自分自身でしょう。商売で成功する秘訣(ひけつ)、幸せになる方法、ちまたにあふれる色々なノウハウは人生を豊かにする手助けのように見えて、実は自分を余計に惑わせる足かせになっている場合もあります。楽しい人生にしたければ、ノウハウを学ぶよりシンプルに生きればいいという、実に単純明快なメッセージをチェーホフは残してくれました。役に立ちたい。面白そうだ。やってみたい。純粋な動機で始めたことが、いつの間にか、おなか一杯なのに「おかわり!」と叫ぶようなことになっていませんか。何事も深刻になり過ぎるのはよくありません。おなかが空けば、ごはんはおいしい。至ってシンプルな原理ですね。

【こぶしが咲けば春が来る】《平成30年2月号掲載》

早春の頃、ほかの木に先駆けて白い花をこずえいっぱいに咲かせるこぶし。直径10cm程の大きな花は、新葉より早く開花します。「こぶし咲く、あの丘、北国の、ああ北国の春」。千昌夫さんの『北国の春』の歌詞でもおなじみの花です。東北地方では、こぶしの花が咲き出すともうすぐ春がやって来ます。寒い冬を乗り越えてきた北国の人々は、こぶしの花が咲く日を今か今かと待ち望んでいます。

昔はこぶしの花の開花時期から農作業のタイミングを判断したり、花の向きから豊作かどうかを占ったりしたそうです。そのためこぶしは「田打ち桜」「田植え桜」「種まき桜」などとも呼ばれています。

昔の人は季節の変化(自然現象)から農作業の時期を判断していました。植物がそれぞれの特性に適した季節に開花することを体験的に知っていたのでしょう。子孫を残すために不可欠な植物の知恵が、人間の生活の知恵にもなっていたのです。

多くの植物がそれぞれ決まった時期に花を咲かせるのは、昼と夜の長さから季節を認識して反応する「光周性」という現象によるものだそうです。植物の光周性はきわめて繊細で、明るい時間と暗い時間の差が30分程度あれば敏感に反応するのだとか。夜間でも温室内に照明をつけて日長を調節すると植物は季節を勘違いします。季節外れの花や野菜が店頭に並ぶのは植物の光周性を利用した人間の知恵であり、見方を変えれば人間の欲でもあります。

その昔、自然と人間は今より良い関係でした。私たちの祖先は自然を尊重し、敬意を払い、恵みに感謝しながら自然の知恵をお借りしていたのでしょう。春が近づけば自然とこぶしの花が咲くように、何事にもそれに相応しい時期があるものです。真夏にこぶしを咲かせようとすればしっぺ返しをくらうかもしれません。欲も行き過ぎれば商機を逸してしまいます。何事にも焦ることなく、知恵で商機を見出したいものですね。

【商売はケ・セラ・セラ】《平成30年1月号掲載》

ヒッチコック監督のサスペンス映画『知りすぎていた男』では、ドリス・デイの歌う『ケ・セラ・セラ』が物語のラストに向けた重要な糸口になっていました。「大きくなったらきれいになれる?お金持ちになれる?」そう尋ねる女の子にママや学校の先生は言います。「ケ・セラ・セラ、なるようになる」。大人になると恋人にも聞きます。「幸せな未来が待っているの?」。恋人の答えも「ケ・セラ・セラ」。彼女が子どもを授かると、今度は子どもが尋ねます。「私はきれいになれる?」。「ケ・セラ・セラ、先のことなんて分からない、なるようになるわ」。小気味よいストーリーも巧みですが『ケ・セラ・セラ』はそれ以上の印象を残して映画は幕を閉じます。

「一休さん」の愛称で親しまれた一休和尚は遺言状を書いてこの世を去りましたが「大きな問題が起こるで決して読むな」と言い残したそうです。弟子の僧侶たちは教えを守り、遺言状が開封されたのは一休和尚の死からしばらく経ってからのこと。大きな問題に直面していた僧侶たちがすがる思いで開いた遺言状には、こう書かれていたそうです。「なるようになる。心配するな」。とんち好きだった一休和尚らしい逸話です。

「なるようになる」といえば、沖縄の方言の「なんくるないさぁ」が思い出されます。「なるようになる」とか「なんとかなる」という意味で知られていますが、沖縄の人に言わせると、生きていく辛さの中から生まれた深くて力強い言葉だそうです。ままならない世の中でも私たちは生きていかなくてはなりません。でも、誠実に真剣に生きていればきっとうまくいく。それを信じる気持ちが「なんくるないさぁ」なのでしょう。時代の変化のスピードは加速度を増し、商売のやり方も人の考え方も変わってきました。「今しかない」といいますが、本当になんとかできるのは、まさに「今の自分」のことだけでしょう。商売に正解はありません。うまくいかないときも「なるようになる」の精神で、今の自分にできることに集中したいものですね。

【夢は本当にかなうのかな?】《平成29年12月号掲載》

ある人から次のような話を聞きました。小学4年生のK子ちゃんは「私の夢はイルカの調教師」という作文を書いたそうです。けれど書き終えた後「夢って本当にかなうものなのかな?どうしたら夢がかなうのかな?」という不安と疑問を持った彼女は、夏休みの自由研究のテーマを「夢は本当にかなうのかな?」に決めたそうです。夢について書かれた本を読んだり、夢をかなえた有名人をインターネットで調べたりしました。また「夢はかないましたか?」というアンケートを自分で作っていろいろな職業の人に書いてもらったり、直接話を聞いたりして自由研究をまとめたそうです。

ノーベル賞を受賞した山中伸弥教授の本を読んで「どんどん試して失敗することが大切です」という言葉に勇気をもらったK子ちゃんは、京都大学iPS細胞研究所を訪ね、国際広報室の人にも話を聞いたようです。果たしてK子ちゃんの結論はどうだったのでしょう。

「夢はかなう。けれど夢はかなえるもの」これがK子ちゃんの研究成果でした。夢をかなえるために必要なのは準備や行動だけでなく、まずは楽しむこと。好きなことにアンテナを張って毎日を生き生き過ごすこと。やりたいことが見付かったら日付を決めて「夢」を「目標」に変え、その目標に向かって努力すること。失敗も大事な経験だから挑戦すること。さらには福沢諭吉の『学問のすゝめ』から「学問に入らば大いに学問すべし。農たらば大農となれ、商たらば大商となれ」という一文を引いて「どうせやるならとことんやろう。こうして夢はかなうのです」とまとめています。

K子ちゃんのアンケートには「夢をかなえるために必要なことをひとつ教えてください」という質問があるそうです。あなたなら何と答えるでしょう。「81%以上の人が夢がかなっています。これはキラキラした明るい事実です」というK子ちゃんの言葉に背中を押されるのは、むしろ大人たちかもしれませんね。子どもたちに「夢はかなうよ」と言える大人でありたいと思った年の瀬です。

【「ぶれない信念」という信念】《平成29年11月号掲載》

会社というのは与えられた仕事を単にこなす場所ではなく、その人の夢や信念を果たす場所なのです――。ザ・リッツ・カールトン・ホテルの創業に参画したホルスト・シュルツ氏の言葉です。信念は成功に欠かせない要素だと昔からよくいわれます。経営者セミナーに参加したS氏もその場で信念の重要性をたたきこまれ帰宅後、すぐ毛筆で「ぶれない信念」と書いて壁に貼り、毎朝毎晩「ぶれない信念」と胸に刻んでいたそうです。しばらくして同窓会に参加したS氏は、懐かしいクラスメイトたちに「やっぱりね、商売は信念が大事なんだよ」と熱く語っていたところ、その中の一人からこんな質問を受けたそうです。

「ところで、お前の信念って何?」「おっ、いい質問だね」張り切って答えようとしたS氏ですが、なぜか言葉が続きません。そのとき初めて気が付きました。肝心の信念が・・・ない!「ぶれない信念」のインパクトが強烈だったのか、「ぶれない信念」という言葉自体が信念になってしまい、肝心要の信念の中身がカラッポだったのです。

こういう人いるいる!と言いたいところですが、実は誰にでもよくあることなのです。朝礼で「今は大変な時期ですが、この状況から決して逃げ出さず、信念を持って努力を続ければ必ず道は開けると神事ています」と社員を鼓舞する社長。わが社の信念、自分の信念、ちゃんと理解して話しているでしょうか。その信念を社員と共有できていますか。「よし頑張るぞ!」「何を?」「何だっけ?」みたいなことになっていないでしょうか。元リコー会長の桜井正光氏もかつて「トップが何事かを決断する場合、情熱と信念を持って自分の考えを説かなければ人はついてこない」とおっしゃいました。欧州でのビジネス経験が長かった桜井氏は「環境への配慮は企業の競争力強化につながる」との信念を持つようになり、その信念のもとで環境経営を加速したそうです。「ぶれない信念」が信念になっていないか今一度、自分と向き合ってみたいですね。

【勝負2秒】《平成29年10月号掲載》

人生においてたった一度しかないチャンス。いったい何だと思いますか?

それは「第一印象」です。その人との初対面はたった一度だけ。「第一印象」に二度目はありません。それなのに、たった一度の第一印象を意識している人は意外と少ないようです。商売でたくさんの人に出会うあなたはどうでしょう。

第一印象とは人や物に接したとき、最初に受ける感じのこと。いわゆる「パッと見」です。その時間は15秒だとか10秒以内だとかいろいろいわれていますが、たった2秒という意見もあります。以前ベストセラーになった『第1感』の著書マルコム・グラッドウェル氏によれば「何かへの評価は2秒で決まる」のだとか。最初の2秒で感じる「なんとなく」を「第1感」と名付け、「(第1感で)状況や人物を瞬時に判断した」場合も、「半年以上の時間をかけて判断した」場合も、そのものへの評価はほとんど変わらないと分析しています。私たちは平均で3秒に1回まばたきをしているそうですが、2秒というのはまばたき1回分にも満たない一瞬。初対面で「はじめまして」とあいさつを交わすまでもなく、私たちは瞬時になんとなく相手を評価して、同時に自分も評価されているのです。しかもその評価はけっこう的確なので、第一印象が悪かったから時間をかけて自分を分かってもらおうと努力しても、修復できる確率は低いというわけです。人には実にさまざまな面があり、それらをひっくるめたものがその人となりを見てもらう前に、出会いがしらの2秒で与える印象は思っている以上にインパクトが強いことを覚えておきたいものです。

服装や立ち振舞い、話し方や声のトーンなど第一印象を良くするための演出はいくらでもありますが、結局は「普段の自分」がにじみ出てしまうものですし「普段」は隠せません。だったら普段からカッコ良く。カッコつけるのではなくて、自意識よりも美意識を大事にしていきたいものですね。

【聞くときは心を込めて】《平成29年9月号掲載》

商売の極意を尋ねられて「聞くこと」と答えたのは、ベテラン経営者のT氏です。極意のきっかけは、その昔、夫婦で泊まった温泉宿とのこと。

その宿は人里離れた場所に一軒だけぽつんとある民家のような旅館で、予約の電話をしたときに部屋にテレビがないと聞かされたときは「夫婦二人で間が持つだろうか」と心配になったそうです。ところが行ってみればなんてことはなく、遠くから聞こえるホトトギスの声、山里を吹き抜ける風の音、その風が木々を揺らせばサワサワと葉音が鳴り、夜は夜で耳を澄ませば「静けさ」という音が聞こえてくるようで、今までにないくらい心休まるひとときだったといいます。何よりの発見は「奥さんの声」だったそうです。普段はテレビに奪われていた耳を奥さんに向けたことで「この人はこんな声だったのか」と改めてしみじみしたのだとか。そのせいか、いつもなら何となく聞き流す奥さんの話を、その夜は耳を傾ける気持ちで聞いたそうです。「そしたら不思議なんだけど奥さんの表情がやわらかくなって。そうなるとこっちも笑顔になるから自然と会話が弾んでね。翌朝には恥ずかしながら手をつないで朝の散歩を楽しんだよ」。散歩の途中、いつもより優しい声で話している自分に気付いたT氏は、いつもより晴れやかな笑顔を向ける奥さんを見て思ったそうです。自分は今までどんな態度でお客さまの話を聞いてきただろう。どんな風にお客さまに話し掛けてきただろう――。

詩人の山崎佳代子氏はかつて、講演でこんな話をされました。「声は人の魂を結びつける。声を出すときはみんなに届くように出し、声を聴くときは心を込めて聴く。この二つが欠けると社会はほころびる」。

伝えたいことがお客さまに届くように話し、心を込めてお客さまの話に耳を傾ける。この二つが欠けると商売もほころびてくるかもしれません。話したり聞いたりは毎日のことです。

どんな態度で、どんな心持ちで行うか、それが大事なのではないでしょうか。

【「最良」の反対は?】《平成29年8月号掲載》

「成功」の反対は何でしょう?今では小学校でも使われるくらいよく知られた問い掛けです。成功の反対は「失敗」ではなく「何もしないこと」、または「チャレンジしないこと」ではないでしょうか。思うような結果が得られなかったとしても、それは成功の種まきだったというわけです。

では「最良」の反対は何でしょう。辞書には「最良の反対は最悪」と書かれていますが、もちろん辞書的な意味を問い掛けているのではありません。

「最良の反対は良である」と言ったのは、主に自費診療を提供している歯科医のK氏でした。保険という制度のある日本では、保険診療をしたほうがビジネスとして楽かもしれません。けれど本当に必要な歯科医療を提供しようと思ったら、保険制度の中で無償の部分を増やすか自費にするかの難しい選択だそうです。

K氏自身、以前は保険請求できない部分は修行だと思って辛抱し、患者の健康のためにそこそこ良い診療をしている自負はありました。「まあまあなことはしているから、この程度でも他の歯医者よりは良いことをしているはずだ」。そうやって自分を鼓舞する反面、常に頭から離れないのは「これはベストな診療なのだろうか」という迷いでした。

そんな葛藤の日々の中でK氏が出会ったのが、先輩歯科医であるY氏の「最良の反対は良である」という言葉だったそうです。「そこそこ良い」は「ベストを尽くすこと」を妨げる。「まあまあ良いことをしているから」という思いでいると、その先の一歩、さらにもう一歩がなかなか出ない。

Y氏の言葉にK氏は背中を押されたと言います。「そこそこやっているけれどベストではないことは分かっている。分かっていながらも現実に負けてきた自分と向き合うときが来たのかもしれない」と。

誰もが上を目指す必要はありません。ただ、自分なりのベストを追い求める商売ができたら、きっと良い人生になるだろうなと想像します。

【大きな石から入れる】《平成29年7月号掲載》

何らかの問題が起きるとき、原因のほとんどは「優先順位」にあるそうです。

誰かを、何を、どの状況を、どのタイミングを優先するかで経過が変わり当然、結果も変わります。思い出してみてください。人間関係のこじれも仕事上のミスも優先順位を間違えなければ避けられたものが多かったのではないでしょうか。経営はシミュレーションに始まりシミュレーションに終わるといわれますが、シミュレーションとは要するに優先順位の付け方です。

優先順位の考え方として有名なエピソードがあります。ある大学の授業でのこと。教授が大きなつぼに石を詰め、つぼが石でいっぱいになると学生に聞きました。「このつぼはいっぱいになっただろうか?」。学生たちは「はい」と答えますが、教授は「本当に?」と言って砂利を取り出し、つぼの中に流し込んで石と石の間を埋めました。そして学生に尋ねます。「このつぼはいっぱいか?」「いいえ」と同じやり取りを繰り返した後、さらに水の入ったバケツを取り出しました。つぼの縁まで水を注いだ教授は、学生に最後の問いを投げかけます。「私が何を言いたいか分かるだろうか?」。

皆さんは教授の意図を理解できたでしょうか。どんなに予定がいっぱいでも努力すればもっと予定を詰められる。これは学生の答えと同じですが、教授の言わんとすることとは違います。教授いわく「大きな石を先に入れないと、あとから入れようとしても入らない」。つまり、物事には優先順位があると教授は言いたかったのです。「大きな石」とは自分の一番大事なもの。大きな石を最優先しないで砂や砂利から手を付けると、一番大事なものにかける時間がどんどん減ってしまいます。商売というつぼにあなたは何から入れますか。このつぼが人生そのものなら、あなたにとっての「大きな石」は何ですか。商売も人生も優先順位を意識すると、きっと質の良いものとなるでしょう。

【人の一寸我が一尺】《平成29年6月号掲載》

武士で教育者だった吉田松陰は、多くの優秀な弟子を育てたことで知られる「人育て」の達人でした。

その松蔭が人育ての極意としていたのは「他人の欠点を指摘せず、長所を伸ばす」でした。まさにその通りだと思いますが、実際には人の長所より欠点に目が行くほうが多いように思います。人の良いところを見付けてほめるより、欠点を指摘するほうがずっと簡単なのは「人の一寸我が一尺」だからでしょう。人の欠点はほんのわずかでも目に付くけれど、自分の欠点は大きなものでも気が付きにくい。これが「人の一寸我が一尺」です。

世の中には他人の欠点を指摘することに意欲を発揮する人がいるようです。自分のことは棚に上げ、人の欠点を目ざとく見付けては指摘する人は「親切に教えてあげているのだから感謝してね」と思っているかもしれませんが、実はその態度が最大の欠点かもしれないことに本人は気付いていないようです。もし「これはどうしても言ってあげたほうがいい」と思うなら、相手を否定することなく心に届くように伝える技術が必要です。しかし、人の欠点を指摘するのは簡単でも、それを上手に伝えるのはとても難しいもので、だからこそ相手の欠点を上手に伝えられる人は信頼されて一目置かれるのでしょう。

相手の気になる欠点が、裏を返せば自分の欠点だったという場合も少なくありません。自分が気にしているからこそ、相手が同じことをしたら気になって仕方ないのですが、お互いの欠けている部分を否定しあっていたら人間関係はあっという間に崩れ去ります。従業員、部下、取引先、顧客。商売はいろいろな人間関係が交差する立体交差点のようなもの。「人の一寸我が一尺」ではあっという間に事故が起こるでしょう。あなたの周囲の人たちもあなたの欠点を見逃してくれているはずです。世の中は、持ちつ持たれつ。できるだけ相手の良いところを見てお付き合いをしていくことは、相手のためというより自分の器を大きくするチャンスだと捉えたいものですね。

【商売は練って待つ】《平成29年5月号掲載》

公園や駅前広場などで、ギター片手に歌っている若者を見かけることがあります。路上で自作の歌を弾き語りする人たちをストリートミュージシャンと呼ぶそうです。彼らは、うまい・下手を超えたところで聴衆を魅了しているように感じるのは若い情熱のせいでしょうか。夢を追いかけている人の姿はまぶしいものですね。

これは、あるストリートミュージシャンの興味深い話です。彼が路上で歌い始めたばかりの頃は、足を止めてくれる人の気配さえなかったそうです。無名の素人だから当然のこと。彼はそう思っていたようですが、路上ライブを続けるうちにあることに気付いたのです。ここには看板もなければ椅子もない。もしかしたら僕の歌を聴きたいと思ってくれている人がいるかもしれない「ここでライブをやっています。ぜひ僕の歌を聴いてください」というサインを何も出していなかった。これでは立ち止まりづらいのは当たり前だと気付いた彼は「路上ライブやってます」の看板を出し、小さな椅子をおいたところ、すぐに足を止めてくれる人が現れ、その数が少しづつ増えていったようです。人に聴いてもらいたければ良い音楽をやることが大前提ですが、同時に「気兼ねなく聴ける」というお客さま目線の環境を整えることも大切だったのでしょう。良いものを作れば売れると思うのは傲慢(ごうまん)だと、ある経営者がインタビューに答えていました。良い商品だから、良いサービスだから、あとは「果報は寝て待て」の方程式が単純に成り立つなら商売はどんなに楽でしょう。しかしながら商売はそんなに甘くありません。世間には、間違いなく良いものなのに売れない商品やサービスが山ほどあります。どんなに良いものを作っても「それを売る努力をしないと売れませんよ」というわけです。「果報は寝て待て」もひとつの考え方だと思いますが、「果報は練って待て」という指南もあります。できる限りの努力と工夫をした上で静かに時機の来るのを待つ。そんな粋な商売をしていきたいものですね。

【成功の秘訣は「最後まであきらめろ!」】《平成29年4月号掲載》

最後まであきらめるなーー。これは成功者の決まり文句です。あきらめずにやり続ければ誰でも成功する。しかし、あきらめてしまったらそこで終わり。それまでの努力は水の泡。あきらめるのは弱い人間のすることだ。世間にはそんな風潮がありますが、本当に「あきらめる」ことは悪いことなのでしょうか。

そもそも「あきらめる」には2つの漢字があります。一般的に「あきらめる」といえば「諦める」と書き、その意味は「希望や見込みがないと思って断念する」ですが、実は「諦める」の語源は「明らめる」だそうです。

「明らめる」とは事情や理由を明らかにすること。つまり「諦める」は「明らかに極める」から来ているのです。まずは事実や理由をはっきり認識して(明らめる)、その上で状況に合っていなければ断念する(諦める)。この流れが本来の「あきらめる」という行動なのでしょう。「最後まで諦めるな」ではなく「最後まで明らめろ」であれば、まさしく成功の条件だろうと思います。

うまくいかないことに固執するとおおむね失敗します。そこで諦めて次のチャレンジに目が向かないのは「明らめて」いないからでしょう。明らめるとは「受け入れる」ことでもあります。うまくいかない理由を冷静に分析して受け入れなければ、何度も同じことでつまずくのは自明の理。的確な判断は理由を分析して状況を把握することで成し得ます。

どう考えても無理だと「明らめ」たら、すみやかに「諦める」。引き際は企業の存続を左右する非常に重要な判断です。明らめるには「心を明るく楽しくして気持ちを晴れやかにする」という意味もあります。壁にぶち当たったとき、その壁を乗り越えようとする自分を楽しめているかどうか。楽しめていないなら「明らめて」いないのかもしれません。諦めるのが悪いわけではなく、明らめずに諦める夢の途中の行動こそが、それまでの努力を水の泡にしてしまう「もったいない」行為だというわけでしょう。

【成功者を真似しても成功できないその理由】《平成29年3月号掲載》

半年間みっちり英語のプライベートレッスンを受けてから渡米した、ある人の実話です。到着3日目。「あんなに勉強したのにまったく英語が理解できない」という失意のどん底からスタートしたアメリカ生活も、渡米から2カ月後には英語での日常会話に困らない程度まで上達しました。日本での勉強がやっと実を結んだのかと思いきや、意外にも役に立っていたのは中学英語。渡米前の勉強がいかせるようになったのは半年が過ぎた頃からで、それでもやはり基本は中学の授業で習った英語だったそうです。「切羽詰まると基本学習の記憶がよみがえるもんだね。基本があってこその応用力だというのがよく分かったよ」。商売にも通じる示唆に富んだ話ではないでしょうか。

ビジネスのノウハウが世の中にあふれている今、その気になればいくらでも勉強はできます。成功者の生の声を聞くこともできます。しかし、それらを実践したからといってすぐに結果が出る人はまれでしょう。

なぜなら他人の成功事例は自分にとって「応用」だからです。すでに成功している人には自分なりノウハウを確立してきた過程があります。その過程は本人にとっての基本です。つまり、プロセスは「基本」でノウハウは「応用」。他人のノウハウを真似して目の前の問題を一時的に回避できたとしても、それは対処療法に過ぎません。基礎体力がないのに、いきなりフルマラソンにチャレンジするのが無謀なことは理解できても、商売では基本をないがしろにして応用に飛びついてしまうことに自分ではなかなか気付けないものです。

商売の基本とは何か。それは「人となり」ではないでしょうか。商売が人と人との関わりで成り立つ以上、人間的な部分が仕事の成功を下支えしているのは確かです。日頃どんな心構えで仕事をしているか、どんな態度で顧客と接しているか。その基本を押さえて商売をしていれば、必要なときに応用が利いて結果が出る。自然の摂理とはそういうものなのではないでしょうか。

【運を良くする方法】《平成29年2月号掲載》

日本を代表する大物コメディアンKさんがまだ見習いだった頃のこと。演出家が「才能がないからやめた方がいい」とKさんを突き放したとき、「Kは才能がないけれど誰よりもいい返事をする。それだけで劇団に置いてやってくれ」とかばってくれた先輩がいたそうです。後日、Kさんを酷評した演出家が「この世界(芸能界)では、才能がなくてもたったひとり応援してくれる人がいたら必ず成功する」と言いました。要するにその演出家は、「こいつをやめさせないでくれ」と応援してくれる先輩がいるのだから頑張れとKさんにエールを送ったのです。「演技は努力しなくていい、性格を努力しろ」というのはKさんの言葉です。競争の激しい芸能界で生き残っていくには芸よりも先に性格や人格を磨け。成果や実力で勝負するのはまっとうなことだが、仕事の出来はそこそこでも、応援してくれる人がいて引き立ててもらえたら成果や実力はあとからついてくる。Kさんが自身の経験から得た学びには商売にも通じる大事な要素があるのではないでしょうか。才能や実力や実績があっても、人からの引き立てがあるかないかで商売の展開は大きく変わるでしょう。日頃から多くの人にかわいがってもらっている人が何かを始めたと聞けば、誰もが自然と「あの人ならきっと成功するよ」と思うでしょうし、逆の場合は言うまでもありません。Kさんの言葉を借りれば「応援してもらえる性格」かどうかということです。

よく「運が良い」とか「運が悪い」とかいいますが、実際は自分の性格に見合った出来事と巡り合っているだけではないでしょうか。「運」を「性格」に替えて考えてみると分かります。性格とはつまり考え方、行動、反応の仕方、態度の示し方、感情の持ち方のこと。今の自分は人から応援してもらえる考え方や行動をしているだろうか。人に引き立ててもらえる商売の在り方をしているだろうか。性格に良くないところがあるのなら「応援してもらえる性格」になるように努力すればいい。それが自分で自分の運を良くする方法なのではないでしょうか。

【凧(たこ)は風に向かって舞い上がる】《平成29年1月号掲載》

このお正月はぎっくり腰で寝たきりだったという知人に「新年早々、災難だったね」と声をかけたところ、「お正月で助かったよ。かえってゆっくり休めたしね」と笑顔を向けられました。気の毒だと思ったのはこちらの勝手な思い込みで、本人はぎっくり腰で動けない状況を前向きにとらえ、逆に楽しんでいたようです。考えてみればこの知人は、何か問題が起こったときにいつでも「かえってよかったよ」「逆に楽しいよ」「むしろ大歓迎だよ」と笑って事に当たっています。

かたわらから垣間見える状況が決して楽そうではないときも、あからさまに大変さをかもし出したり不安がったりすることなく、そのときできることを黙々とやっている、そんな印象です。

「いつもどんと構えているねぇ」そう感心すると、「失敗した経験の量が半端じゃないからね」と。

たとえ成功者と同じことをしても、表面を真似しただけでは同じように成功できるとは限りません。成功した人のバックボーンには、成功に匹敵するだけの失敗の数々が隠れていることが容易に想像できるからです。判断ひとつにしても、わずかな経験でする判断と豊富な失敗に基づいた判断が同じはずはありません。

シャネルの生みの親であるココ・シャネルの名言に「人生が分かるのは、逆境のときよ」があります。ウォルト・ディズニーも「逆境の中で咲く花は、どの花よりも貴重で美しい」と言いました。大成功を収めた彼らもやはり「逆境」という環境を前向きにとらえて果敢にチャレンジしていったのでしょう。

お正月のテレビ番組で、いまどき珍しい凧上げの光景を見ました。凧は風に向かっていくからこそ高く上がります。風に流されていては上がっていけません。澄み渡った青空に高く高く舞い上がる凧を見ながら、逆境こそ人を強くさせる環境だと改めて思う新年でした。事の成るは逆境のとき。逆境を乗り越えた分だけ自分も商売も成長していくのでしょう。

下村典正税理士事務所は
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