「商売のヒント」

経営に関するヒントや考え方など毎月掲載しています。

【二進も三進もご破算で】《令和5年3月号掲載》

「二進も三進も」と書いて「にっちもさっちも」と読みます。語源はそろばん用語で、二進(にしん)三進(さんしん)の音が変化して「にっち」「さっち」になったようです。二進とは2÷2、三進とは3÷3のことで、どちらもわりきれる計算です。そこから転じて、2でも3でも割り切れないことを「二進も三進もいかない」というようになり、計算が合わないことを意味するようになったそうです。商売をしていれば二進も三進もいかない場面に出くわすことがあります。どう頑張っても行き詰まって身動きがとれない、いわゆる逆境ですが、逆境は人間が試される場面でもありますね。思うようにならないときは身をかがめて力を蓄え、次に跳ぶ準備をしておく人。事を成すは逆境のときと捉え、ピンチをチャンスに変えるべく行動する人。どれが正解ということはありませんが、ひとつだけダメなパターンがあるとしたら、それは「何もしないこと」でしょう。「今は動かない」と決めて積極的に何もしない状態と、自分では何も選ばず何も決めず、ただ何もしない状態は、たとえはたから同じに見えても、実際はまったく別物です。特に世の中が目まぐるしく変化している今のような時代には、何もしないことが一番のリスクになるといわれます。では動けないときはどうするか。その方法のひとつはリセットです。そろばんでは、次の計算に移るとき、先に置いたたまを全部払ってゼロにして、新しい計算ができる状態にすることを「ご破算(ごはさん)」といいます。二進も三進もいかないときは、今までの常識や経験をご破算して前に進む。そんな発想の転換が必要かもしれません。

【一次情報にこそ価値がある】《令和5年2月号掲載》

今から2年前、トヨタ自動車の豊田章男社長は「100年に一度の大変革の時代を生き抜くために」という社長メッセージを出しました。「私は、トヨタを‟自動車をつくる会社”から‟モビリティカンパニー”にモデルチェンジすることを決断しました」から始まるメッセージの中で、約100年前の米国に1500万頭いたとされる馬が、今では1500万台の自動車に置き変わった現実を踏まえ「今はその時と同じか、それ以上のパラダイスチェンジを迎えているのではないか」と問いかけています。過去の苦難を生き抜いてきた企業にはいくつかの共通点がありますが、そのひとつは「時代の変化への対応力」ではないかと思います。フィルム製造から化粧品、医薬品へと分野を広げ、近年は医療用機器の製造受託にも注力している2兆円企業といえば富士フイルム。ゲーム機やゲームソフトで世界的に有名な任天堂の原点は花札。国内外で約2万店舗を展開するローソンは、元をたどれば米国オハイオ州の牛乳屋でした。時代を生き抜いてきた企業は、その時々で業種業態を変容させながら環境に適応する工夫をしてきたのでしょう。ところで、こうした良い例をいくら聞いても、人づてやネットの情報では実感が乏しく、自分事になりにくいものです。結果、頭で分かっていても行動につながりません。そこであなたの周りに長く続いている商売があれば、是非直接出向いて、ご本人から話を聞いてみてはいかがでしょうか。実際にやっている人が持っている「一次情報」にこそ、時代を生き抜く知識や知恵が詰まっていると思います。

【桃を拾え】《令和5年1月号掲載》

ある有名な実業家が「一生懸命やれば何とかなると思っている人もいるけれど、成功の要因は運も大きく影響すると思う」とはなしていました。確かに経営者でもアスリートでも、ジャンルを問わず、「成功」と「運」はワンセットで語られることが多いように思います。「運の正体」には色々な言説がありますが、ホリエモンこと堀江貴文氏がおとぎ話の『桃太郎』をヒントにした持論はとてもユニークです。川上から大きな桃が流れてきても普通は気味が悪くて誰も拾わない。けれどおばあさんは桃を拾った。これは一種の異常行動である。しかも家に持ち帰り、そのあとの展開はご存じのとおり。ではおばあさんは何を拾ったのか。流れてきた桃は何だったのか。つまり桃は「チャンス」の象徴で、おばあさんはチャンスを拾った(つかんだ)というのがホリエモンの「桃太郎理論」です。おばあさんより川上で洗濯をしていた人もいたと思いますが、その人たちは桃を拾わなかった。「流れてきた大きな桃を拾う」という通常とは違う行動をしたおばあさんだけがチャンスをものにした、というホリエモンの解釈は「運」の本質を突いていると思いました。損得の感情よりも、ここ一番の大勝負や大胆な決断ができる人に運は味方するといわれます。運はやはり通常とは違う行動をする人がお好みなのかもしれません。新たな可能性を感じつつも、変化に伴うリスクに尻込みしたり、変化自体が面倒だったりして結局、チャンスを逃してしまうことがあります。今まで一生懸命やってきて、もし行き詰まりを感じているのなら、今年は通常とは違う独自の発想で開運を願いたいものです。

【ばら色の未来を望むなら】《令和4年12月掲載》

過去は決して変えられない。おそらくそう思っている方が多いでしょう。ところが「記憶」は変えられるとしたらどうでしょうか。「記憶を引き出す」という言い方をするせいか、私たちは記憶を固定的な「もの」のように考えがちです。しかし実のところ、記憶は非常にあいまいなものであり「もの」ではなく脳の一種の「状態」なのだとか。ですから、思い出すときの心理状態で記憶の中身が変わることもあります。例えば、盛大に夫婦げんかをした記憶。それを気分が良いときに思い出すと、あれほど頭にきた相手の言動がそれほど気にならず、むしろ「こちらも悪かった・・・」と反省もできる。ところがイライラしながら思い出すと「やっぱり頭にくる!」と怒りが再燃。このような経験はありませんか?夫婦げんかという「過去の出来事」はかわりませんが、嫌な記憶を良い気分で思い出すことによって「記憶の印象」をガラッと染め変えることができるのです。思い出すときの気分が記憶の印象を左右するのは、未来に対しても同じことです。将来を良い気分で思い描いておけば、この先、将来を思うたびに「良い感じ」がよみがえって、ますます将来像が良い感じになっていくでしょう。逆に暗い気持ちで将来を思い描けば、先のことを考えるたびに暗い気持ちもよみがえって、明るい見通しが立たなくなります。つまりばら色の未来を望むのであれば「今」をばら色の気分で過ごし、記憶を「ばら色」に染めておく、というわけです。実際の出来事はともかく、気分はばら色で商売する。単純なことですが、これからの日本を考えると、これはやってみる価値は大いにありそうです。

【経営の神様の共通点】《令和4年11年月掲載》

「平成の経営の神様」稲盛和夫さんが亡くなりました。そのため「昭和の経営の神様松下幸之助との共通点に言及した記事をよく目にします。最大の共通点は、経営に「哲学」を持ち込んだこと。この意見には深く納得しました。松下幸之助は「人間探求」と宇宙の法則」を説き続けました。稲盛さんの経営哲学は、あの有名な「京セラフィロソフィ」です。その基本は全社員の物心両面の幸福を追求」経営破綻したJALを再建するために乗り込んだときの「JALフィロソフィ」の冒頭にも、この言葉が書かれていました。これは稲盛さんが実践を通して得た人生哲学であり、根底には「人間として何が正しいか」という問いかけがありました。物事を判断するとき、常に「これは人間として正しいか」を自分に問いかけていたのです。経営者としてはもちろんですが、稲盛さんが唱える「六つの精進」などを読むと、人間力の高さにも圧倒されます。「誰にも負けない努力をする」「謙虚にしておごらず」「反省のある毎日を送る」「生きていることに感謝する」「善行、利他行を積む」「感性的な悩みをしない」。立派すぎて引け目を感じてしまうほどですが、最も見習いたいところは未来を信じる力です。稲盛さんは常に「私にはすばらしい人生がひらかれている」と思い続けてきたそうです。「非常に単純なことですが、自分の未来に希望をいだいて明るく積極的に行動していくことが、仕事や人生をより良くするための第一条件」だと語っていました。つい不平不満を言いたくなるご時世ですが、希望を持ってとにかく行動することは、今この瞬間からできそうです。

【迷ったら「変化」を選ぶ】《令和4年10月掲載》

帝国データバンクによれば、今年100周年を迎える日本企業は1065社。「100年企業」は約3万社(日経BPコンサルティング調査/2020年3月時点)にものぼるそうです。世界の「100年企業」が約8万社なので、日本は世界でもまれに見る長寿企業大国なのです。振り返ってみれば、100年前は第一次世界大戦後の不況が続き、関東大震災があり、また戦争があり、高度経済成長期を経験してオイルショックが2回あり、その後バブル経済やITバブルがはじけ、リーマンショック、阪神淡路大震災、東日本大震災、そしてコロナが世の中を大きく変えました。こんな苦難な時代を乗り越えてきた「100年企業」には、キューピー、ハウス食品、清水建設、竹中工務店、小学館、任天堂、グリコ、旭化成など誰もが知っている有名企業がずらりと並びます。

2011年版中小企業白書によると、創業5年以内に廃業する率は約2割。そんな状況の中、100年以上の歴史を重ね、今なお経済をリードしている企業には3つの共通点があるようです。「変化をいとわない」「社員を大事にする」「地域貢献」。中でも注目したいのが「変化をいとわないです。物事がある程度長く続くと、過去の成功体験やしがらみなどに縛られて大胆な選択ができなくなってきます。すると「ここまで続けてきたからやめるわけにはいかない」という気持ちが大きくなり、継続していくことが目的になってしまいがちです。しかし現状維持は衰退の第一歩。長く続けていくためには、今までとは違う選択をすることが継続への活路になることもあります。革新的なことをすると批判も受けますが、常識にとらわれずにチャレンジし続けた結果の「100年企業」なのでしょう。日本のコンビニの父、鈴木敏文さんは以前「人間は一方で何かにしがみつきながら、もう一方で新しいことに挑戦することはできません。自分では一歩踏み出したつもりでも、思うように前に進まない人は、無意識のうちに何かにしがみついているのかもしれません」と言っていました。自分は何かにしがみついていないだろうか。迷ったら変化を選ぶ大胆さと勇気を持ちたいものです。

【「真の花」を咲かせるとき】《令和2年6月掲載》

紫陽花(アジサイ)の季節になりました。あっという間に世界が変わり、新たな価値観に塗り替わっていく様子を目の当たりにしていると「七変化」と呼ばれる紫陽花の、花の色の移り変わりに今年は一層、目を奪われます。世の中が騒がしくても季節は巡り、今年も美しい花を咲かせてくれる自然のありがたみが身にしみる日々。花には癒し効果があるとされます。指先の心拍変動性と気分プロフィール検査というもので実験したところ、実際に花がストレスを緩和してリラックス効果を高めることが明らかになったそうです。能の大成者である世阿弥は、著書『風姿花伝(ふうしかでん)』で、観客に感動を与える力を「花」にたとえています。若い演者は美しい声と姿をもつが、それは「時分(じぶん)の花」に過ぎず、いずれ失われていく。しかし工夫を重ねて精進すれば、やがては能の奥義である「真(まこと)の花」が現れ、それは決して失われることはない――。

「時分の花」とは、若さによって現れる芸以前の一時的な面白さ。「真の花」とは、稽古と工夫を究めた本当の芸のうまさ。その間に咲くのが「工夫の花」です。「時分の花」に慢心して努力を怠ると、花はすぐに色あせます。人は人生の大半を「工夫の花」として過ごしていくのでしょう。「少年よ大志を抱け」で知られたクラーク博士の全文は「少年よ大志を抱け。金や私欲のためではなく、名声などと呼ばれる空しいものでもなく、人間として当然持つべきもののために大志を抱け」とされています。皆さんの心に宿る少年は、どんな大志を抱いているでしょうか。その大志は、咲く時期を待っている「真の花」と重なるように思います。「ピンチはチャンス」という聞き飽きた言葉が今、これほど心に響く理由を改めて考えてみるときかもしれません。ちなみに、紫陽花の代表的な花言葉は「移り気」でしたが、最近は「辛抱強い愛」「家族の結びつき」なども広がっているようです。辛抱強く助け合って、ピンチをチャンスに変えていきたいものですね。

【今、決断という経験を積むとき】《令和2年5月掲載》

460年前のちょうど今頃、日本の歴史を動かすドラマチックな合戦が起こりました。織田信長が、兵力差約10倍の今川軍を奇襲戦法で打ち破った桶狭間の戦いです。勝利の決め手は信長が見せた驚異の決断力でしょう。リーダーの最大の仕事は「決断」に尽きるといわれます。優れたリーダーほど決断が早いともいわれます。三英傑の信長、秀吉、家康は三者三様でも、決断力に長けている点は共通しています。経営者もしかり。経営は決断の連続です。商売をしていれば決断を迫られる場面が多々あります。決断ひとつが会社の将来を左右しかねませんし、タイミングを逃すと決断の意味がなくなってしまうこともあります。新型コロナウイルスの影響で、前例のない選択決断を求められている経営者が少なくないようです。熊本市長がツイートした「コロナのバカ――っ!(泣)」も他人事ではありません。今までは過去の事例を参考に、その延長線上で考えることもできましたが、前例通りにやっても間に合わない事態が起こることもあります。そんな状況で思うのは「日頃から何を大事にしているか」が問われているのではないかということです。商売に限らずとも、何かを決めるときは自分なりの大事にしているものがあるでしょう。カッコよく言えば哲学です。素早く決断できる人は、哲学を持ってゆるぎない気持ちで物事に取り組んでいるのだろうと想像します。決断には正解がありません。これでいいのか悪いのか、いくら考えても分かりません。であればシンプルに、自分の哲学を優先して、最速で決断するのはトップの役割といえそうです。

商売で、人生で、あなたが大事にしている哲学は何ですか?旅人が北極星をガイドにして道なき道を行くように、自分の哲学を北極星にして「哲学に合う・合わない」とシンプルに判断する。この訓練を積むことで、いざというときにも素早い決断ができるのではないかと思います。大きな決断の経験は人を成長させます。人間万事塞翁が馬。今、ひとつの決断で逆境が好機となるかもしれません。

【落ちているお金に気付く人、気付かない人】《令和2年4月掲載》

「失敗ではない。うまくいかない1万通りの方法を発見したのだ」。これは発明家トーマス・エジソンの有名な言葉です。コップに水が半分入っているとき「まだ半分もある」と考えるか「もう半分しかない」と考えるかという「コップの水理論」も有名です。どちらにも共通しているのは、物事は捉え方によって意味合いが変わるということ。つまり、プラス思考かマイナス思考か。ポジティブかネガティブか――。このような話はよくご存じだと思います。でも、実際はどうなのか。そこで、あるユニークな実験結果をご紹介しましょう。実験によれば、ひとつのグループを半分に分け、片方は物事をポジティブに捉えるように誘導し、もう片方は常にネガティブな捉え方をするように誘導したそうです。こうして「ポジティブ」「ネガティブ」のベースを作った上で、少し遠い場所の喫茶店まで歩いて行ってもらいました。実験のキモはここからです。喫茶店までの途中、道にお礼(お金)を置いておくという仕掛けをしたところ、ネガティブグループはほとんどの人がお礼を見逃したのに対して、ポジティブグループの人は、ほぼ全員がお礼に気付いたというのです。ポジティブな人は自然と運が良くなるのでしょうか。ネガティブな人はチャンスに気付けないのでしょうか。事の真相は分かりません。けれど、物事の捉え方と出来事に相関関係があるのは確かなようです。

心理学者リチャード・ワンズマンが行った「運・不運」の実験によれば、運がいい人には「自分は運がいいから、いつかチャンスがめぐってくる」と考えて行動する共通点があるそうです。良い結果が出たら「自分は運がいい」と感じて、ますます「運がいい自分」を信じるようになる。失敗しても「運がいいからこの程度で済んだ」と考えるそうです。とはいえ、無理やりのポジティブはかえってストレスになりかねません。日頃からできるだけ物事の良い面に目を向けるように心掛けて、お礼に気付く側になりたいものですね。

【非常識より破常識】《令和2年3月掲載》

ネット環境の普及は、商売における既存の競争ルールを根底から変えてしまうようなビジネスモデルを生み出しています。例えば、モノを持たないという価値観に共感する人が増え、消費者の行動は「所有」から「レンタル」、さらには定額制サービスの「サブスクリプション」へと変化しているといわれます。

かつて車は「買う」ものでしたが、必要なときだけレンタカーを「借りる」ことができるようになり、今では「定額サービスで毎年、新しい車に乗る」という選択肢もあります。つまり、これまでと同じ製品やサービスでも、提供方法を変えることで新たな価値を生み出しているのです。それだけ消費者の価値観が多様化しているのでしょう。非常識な発想で差別化をはかることはできますが、奇をてらった突拍子もない「非常識」よりも、常識を疑って新たな価値を創出する「破常識」な視点のほうが、多様性の時代にはマッチしているように思います。

こんなことを考えるようになったのは、ある主婦の話がきっかけでした。食品はできるだけ新しい日付を選んで買う。これは主婦の知恵であり、一種の常識ともいえます。ところがその人は、今日明日のうちに食べるものなら古い日付を選んで買うと言います。「新しい日付から買えば残り期間の少ないものが取り残されて、いずれは期限切れで破棄処分される。古い日付から買えば処分品が減るかもしれないし、次の人は新しいのを買える」。彼女の考え方に目の覚める思いでした。日々の何気ない行動を振り返ってみたら「そのやり方じゃなくてもいいのでは?」と思うことがいくつかあり、そのひとつが古い日付を選んで買うことだったそうです。古い日付といっても1日か2日。それを買うくらい大げさなと思うかもしれませんが、あえて古い日付を選んで買う理由に、その人なりの新たな価値の創出を感じたのです。常識を疑う背景には、個人の発意や情熱、勇気ある決断といった「内側の発想」があります。多様性の時代の商売は、内側の発想に共鳴してもらえることが不可欠ではないかと思うのです。

【素早く、短く、ハッキリと】《令和2年2月掲載》

「新製品の特徴は何ですか?」この質問に対する答えとして、最も相手の興味を引く答えは次のうちどれだと思いますか?

(1)使い勝手の良さです (2)それはやはり使い勝手の良さだと思います (3)今回の商品は使い勝手の良さを重視しており、もちろん機能性も向上しておりますが、お値段は据え置きでご提供させていただいております

アメリカのある心理学者が学生に行った模擬裁判の実験によると、冗長な話し方の証言より、ひと言で言い切るような短い証言のほうが信頼度が高いという結果でした。つまり人間は、短く、ハッキリとした意見をより強く支持するようです。先ほどの答えを見ると、どれも「使い勝手の良さ」をアピールしている点では同じでも、肝心なのは訴求力の高さです。質問に対して(1)のように素早く、短く、明確に答えると、まずは相手の頭に「使い勝手の良さ」のひと言が刻まれます。料理に例えれば、ベースとなる出汁がほどよくしみこんだ状態。出汁の効いた料理は一口食べた瞬間に「うまい!」と感じるものです。そのうま味につられて相手が料理に興味を示したら、そこからが調理人の本領発揮です。具体的な使い勝手の良さ、自慢の機能性、据え置き価格などのアピールを存分に行って料理を堪能してもらいましょう。先日、行きつけの飲食店でラーメンを頼んだところ、どうもいつもと味が違う。どうやら出汁を入れ忘れたようでした。顔見知りなので「まぁいいか」とテーブルにあったしょうゆやコショウを入れてみたけれど、何をどうしてもぼんやりした味のままで最後まで食べた気のしない夕飯となりました。冗長な話というのは、出汁を入れ忘れたラーメンにしょうゆなどを入れ続けるようなものでしょう。どれだけそれらを入れてもおいしくならないように、長々と話しているうちに何が何だか分からなくなって相手も混乱してしまいます。より詳しく、より多くアピールしたい気持ちを抑えながら、可能な限りまずは即答して相手の支持を得て、その上で交渉を進める人が商売上手なのではないでしょうか。

【見えないたすきに込めた思い】《令和2年1月号掲載》

お正月の恒例行事のひとつといえば駅伝でしょう。箱根駅伝を見ないと新年になった気がしないという声をよく聞きます。箱根駅伝誕生のきっかけを作ったのは「マラソンの父」と呼ばれた日本人初のオリンピック・マラソンランナーの金栗四三(かなくりしそう)氏です。1912年、金栗氏はオリンピックのストックホルム大会に参加するも結果は惨敗。日本の陸上競技の遅れを痛感し「日本のマラソンが強くなるためには長距離やマラソン選手を養成することだ」と考え、選手を一度に養成するために思いついたのが「リレー種目」だったそうです。東京高等師範学校の野口源三郎氏、明治大学の学生ランナーの沢田英一氏とともに「将来はアメリカ大陸横断を」という壮大な計画を立て、まず選手の選抜をするために関東の多くの大学と専門学校などに参加を呼びかけて対抗駅伝を行いました。

コースは東京から箱根までの往復。1校10人がたすきをつなぎ、2日間に分けて完走を目指す。これが箱根駅伝の原型となり、翌年の1920年2月14日に記念すべき第1回東京箱根間往復大学駅伝競走が開催されたそうです。参加した大学は明治、早稲田、慶応義塾、東京高等師範(現筑波大学)の4校。第1回の復路と総合優勝は東京高等師範学校。往路を制したのは7時間30分36秒の明治大学でした。

結局、金栗氏たちのアメリカ大陸横断計画は実現しなかったそうです。しかし、マラソン普及に心血を注いだその思いは、箱根駅伝という形で今に受け継がれているのだと思います。金栗氏の情熱。母校の名誉。仲間への感謝。自分へのエール。金栗氏が手渡したたすきに込めた思いは計り知れません。「今までは商売をマラソンに例えていたけど、これからは駅伝でいきたい」と言った知人がいます。30代で起業して、商売という長い道のりを一人、黙々と走り続けてきた彼は、70歳を目前にした今、これからは次の世代に何を残していけるかを考えて商売をしたいそうです。何をやるかより、どうやるか。思いを込めた見えないたすきを手渡すために残りの人生をかけるそうです。

【今こそ脳に汗をかこう!】《令和元年12月号掲載》

人間の脳細胞の数は生後をピークにあとは徐々に減っていく――。ひと昔前まではこういわれていましたが、近年の研究では人間の脳にある神経細胞は、日々増減を繰り返していることが分かってきたそうです。

脳は非常に可塑性の高い器官で、私たちの脳は毎日、新しく起こる環境の変化に対応しています。例えば、仕事で新しいプロジェクトを達成したとします。その過程では、新しい仕事に意欲を持って取り組み、情報収集や調査によって知識をインプットして、蓄積してきた知識をアウトプットします。時にはチームの仲間と議論を交わし、自分の判断基準を見直したり新しい価値観に触れたりして刺激を受け、プロジェクトが完了すると達成感と共に満足感や充実感を得るでしょう。私たちの脳内では、こうした行動を通じて常に神経細胞が生まれたり、記憶の回路が新しく組み変わったりしているようです。少し専門的な話になりますが「クリスタルインテリジェンス」と呼ばれる脳の結晶性知能と「白質」と呼ばれる統括的知能は40歳ぐらいから伸びると考えられており、この2つが俗にいう本当の意味での知恵や頭の良さや知能の高さに関わるのではないかといわれています。単純な記憶力は17~18歳をピークに年々低下していくものの、脳には逆に年齢を重ねることで成長する部分があるのです。チャレンジや失敗を恐れず一生懸命に知恵を絞って商売をしてきた人は、数字として表れない部分でも、しっかりと積み上げてきたものがあるのです。

AIやロボットの浸透は加速度を増していき、色々な局面で今までの常識が通用しなくなっています。時代や環境のせいにしたくなることもありますが、そんなときは脳の可塑性を思い出してください。あなたが「ついていけないよ~」と弱音を吐きそうになっても、脳には変化に対応する性質があります。仕事を楽しみ、充実感を得ることで脳は成長するのです。変化を恐れず、新しい経験ができることに喜びを感じ、感謝と共にある商売をこれからも続けていきたいですね。

【商売の主導権はどこにある?】《令和元年11月号掲載》

「人生でいちばん無駄なこと」は何だと思いますか。「○○すること」の○○を考えてみてください。ある人は「執着すること」だと答えました。「競争すること」と言った人もいます。どちらも一理あると思いますが、心理学的にいう「人生でいちばん無駄なこと」は「比較すること」だそうです。実際、私たちは何かにつけて比較しています。人の持ち物と自分の持ち物。人の意見と自分の意見。人の幸せと自分の幸せ。つまり「他人」と「自分」を比べているわけです。なぜ比較することが無駄なのか。

それは、他人と自分を比較すると自分の感情が揺れるからです。何かを比較するとき、私たちは無意識のうちに優劣をつけています。それだけでなく、自分が決めた優劣で安心したり落ち込んだりします。けれど、比べる相手が代われば安心が心配になったり、今まで良いと思っていたことが揺らいだりするのは皆さんも体験的にご存じでしょう。つまり、他人と比べて手に入れた(と思 っている)安心や成功や幸せは、とても不安定なのです。商売において不安定な要素はできるだけなくしたいと思っているのに、そう考えている自分自身がいちばん不安定な要素だというのは皮肉なものです。周りに気を取られ、他人を気にしすぎている状況は、主導権を他人に渡しているのと同じことです。商売に集中しているつもりが、実は大事な商売の主導権を他人に渡しているとしたらどうでしょう。禅の教えに「明珠在掌(みょうじゅたなごころにあり)」という言葉があります。「明珠」とは光り輝いている玉のこと。計り知れないほど価値がある宝物のたとえです。「在掌」とは「その手の中にある」ということ。つまり「かけがえのない宝物はすでにあなたの手の中にありますよ」という意味です。成功や幸せを考えるとき、私たちはつい「他人の手の中」を見てしまいがちです。でも、無駄な時間を過ごしたくなければ「自分の手の中」を見ることです。自分が本当にやりたいことは何か。それが周囲と調和していれば、商売はおのずと良い流れに乗っていくのではないでしょうか。

【シンプルなごちそう】《令和元年10月号掲載》

優れた経営者の中には、ひそかに茶道の心得のある人が少なくないと聞きます。400年以上も続く究極のおもてなしの心として世界にも知られている茶道。その本質は、亭主(主催する人)が一期一会の精神で正客をおもてなしすることです。茶道の世界観に経営者としての道を求めるのは、ごく自然なことかもしれません。茶道の創始者ともいえる千利休が説いた茶道の在り方に「利休七則」があります。

一側、茶は服のよきように点(た)て(相手の状況や気持ちを考えながら心を込めて茶を点て) 二則、炭は湯のわくように置き(的確に誠実に準備を行い) 三則、夏は涼しく冬は暖かに(相手が心地良いと感じるようにもてなし) 四則、花は野にあるように(本質を見極め) 五則、刻限は早めに(心にゆとりを持ち) 六則、降らずとも雨の用意(万全に備え) 七則、相客に心せよ(お互いを尊重しあう)

つまり利休七則とは人をもてなすときの心得です。今さらと思った人もいるでしょうか。まさにそんな逸話があります。ある日、弟子が茶の湯の極意を求めてきたので、千利休はこの七則で答えたそうです。すると弟子は「それくらいのことなら私もよく知っています」と言ったそうですが、それに対して千利休は「七則ができるなら、私はあなたの弟子になりましょう」と返したそうです。日本人は古来より「和の心」を大切にしてきました。けれど「相手のため」や「尊重しあう」といったことは、ただ自分を相手に合わせていればいいというものではありません。例えば、炊きたての白いご飯、おみそ汁、お漬け物の組み合わせはシンプルにしてある意味、最高のごちそうです。とはいえ、この3つを全て混ぜてしまったら、それぞれの味も組み合わせのバランスも台無しです。ご飯はお茶わんに、おみそ汁はおわんに、お漬け物は小鉢に入れて、それぞれの器がひとつのお膳に収まってこその「ごちそう」です。大上段に構えなくても、身の回りに今すぐできる小さなことはありませんか。商売は「シンプルなごちそう」でありたいものですね。

【選択が変われば全てが変わる】《令和元年9月号掲載》

私たちは色々な選択をしながら生きています。何時に起きて、何を食べて、どこで、誰と、何をするか。

歯を磨くという日課も習慣化された無意識の選択です。そうした選択のひとつひとつがすべて商売の礎(いしずえ)となっていることを、今日は少しだけ真剣に考えてみませんか。例えば、ある家族を想像してください。朝から子どもが大騒ぎ。妻はイライラして夫であるあなたにも八つ当たり。気分良く目が覚めたのに一気にテンションが下がりました。そこであなたは、どんよりした気分を引きずったまま暗い声で「行ってくるよ」と家を出ることもできます。もしくは気分を切り替えて「いってらっしゃい!」と元気良く子どもを学校に送り出した後に、妻にも「行ってくるよ!」と明るく声をかけることもできます。どんな態度で家族に接してもあなたの自由です。笑ってもいいし、怒ってもいい。やってもいいし、やらなくてもいい。感じ良く振る舞ってもいいし、不機嫌さをまき散らしてもいい。面倒臭いからと後回しにしてもいいし、今やっておくと楽だからと多少無理をしてもいい。相手に反撃してもいいし、自分が引くことで丸く収めてもいい。人を悪く言ってもいいし、お互いさまだからと許してもいい。自分を貫く「イエス」でも、自分を曲げる「ノー」でも、あなたはどちらも選べます。裏を返せば、あなたの態度はあなたが自分で選んだ結果なのです。人に優しくありたいと思いながら嫌みな態度になってしまうのは、自分で「嫌みな態度」を選んでいるからです。選択は常に4つあります。自分にも周りにも良い選択。自分にも周りにも良くない選択。自分には良くても周りには良くない選択。自分には良くないけれど周りには良い選択。どれを選んでも自由ですが、どの選択が一番良いか、あなたはちゃんと分かっています。楽しく商売したいなら商売が楽しくなる考え方を選びたいものですし、お客さまに喜んでほしいなら「ありがとう!」と言われる態度を選びたいものです。「選択が変われば人生は変わる。人生が変われば商売も変わる」。ひとつひとつ大切に選んでいきたいですね。

【笑顔で施す】《令和元年8月号掲載》

その会社にいつもやってくる宅配便の青年は、女性社員たちのアイドル的存在だといいます。青年が「こんにちは!○○急便です」と会社のドアを開けるとオフィスにいる女性社員たちが寄ってきて、あれこれ青年に話しかけるのだそうです。

そして夏なら冷たい飲み物を、冬なら温かい飲み物をすすめ、お茶の時間用にと用意してあるお菓子を持たせてあげるのだとか。この様子を見ていた男性営業マンが「別にカッコイイわけでもないのに、なんで彼ばっかりモテるのかねぇ」とすねてみせると、1人の女性社員はこう言ったそうです。「あんなにニコニコされたら、もっと喜ぶ顔が見たいって思うじゃない」。

お釈迦(しゃか)様の教えのひとつに「布施行」があります。施しをして、執着を捨て、こだわりを減らしましょうということだそうです。お布施と聞くと、お金や財物を施す「財施」を思い浮かべる人が多いように思いますが、だとしたらお金や財産がない人はお布施ができないのでしょうか。もちろんそうではなく、誰でも、いつでも、その場で、簡単にできるお布施があります。お釈迦様はそれを「和顔施(わがんせ)」、または「顔施(がんせ)」と言っています。和顔施は仏教用語の「無財の七施(むざいのしちせ)」のひとつで、人に対して笑顔で優しく接することです。いつもニコニコしていれば、それだけで施しになるようです。宅配便の青年が多くの人から愛されているのは、自然と和顔施をしていたからなのでしょう。商売をうまく軌道に乗せたいならば、今すぐニコニコしてみましょう。和やかな笑顔で人に接していれば、きっと周りの人を幸せにできます。うれしいことや楽しいことがあったら素直に顔や態度に出して、できれば相手の幸せも笑顔で一緒に喜びたいものです。悲しいことや辛いことが起きても、とりあえず鏡の前でニコニコの練習をしてみる。お客さまのために、従業員のために、会社のために、あなたが今すぐできることが和顔施なのです。

【「満足」よりも「勧めたい」】《令和元年7月号掲載》

ある製品の売り上げがガタ落ちしたので急いで直近の顧客アンケートを見直したところ、なんと8割もの人が「満足」「とても満足」と答えていた――。まるでホラー映画のような現象が実際に起こっています。これは、お客さまに悪意があったわけではなく、質問の仕方を工夫する必要があったのだと思います。

A:「あなたは、この製品(サービス)に満足しましたか?」

B:「あなたは、この製品(サービス)を友人や同僚に勧めたいと思いますか?」

一見すると似たような質問で、どちらも顧客のニーズを問うことに変わりありませんが、実は質問から得られる結果に大きな違いがあります。Aは「顧客満足度」を調べるための典型的な質問で、いわゆる「CS」と呼ばれる手法です。

対するBは「顧客推奨度」を調べるための質問で「NPS(ネット・プロモーター・スコア)」と呼ばれる手法です。NPSとは、企業やブランド(製品・サービス)に対する顧客の信頼度・愛着度(顧客ロイヤルティー)を数値化する指標のこと。測定方法はシンプルで、顧客は「勧めたいですか?」という質問に0~10点の11段階評価で答えます。9~10点は満足度も再購入率も高く、他者にも勧めたいという「推奨者」。7~8点はそれなりに満足しているけれど他人に勧めるほどでもない「中立者」。0~6点は製品やサービスに不満を持っていて、悪評を広める可能性もある「批判者」。推奨者の割合から批判者の割合を引いた値がNPSの数値となります。要するに「他者への推奨度」を点数で評価するので、これまで数値化が難しいとされていた、製品やサービスに対する「愛着度」を見える化できることが大きな特徴です。CSが過去から現時点での満足度評価なのに比べ、NPSは「勧めたいと思いますか?」という未来の予測行動を点数化します。そのため今後の売り上げや成長率に直結すると考えられ、近年はNPSを導入する企業が増えています。「顧客の言葉を信用するな」とは言いません。「顧客の本音が拾える問いかけ」も先を読む商売のコツというわけです。

【微妙な色合いの違い】《令和元年6月号掲載》

東京スカイツリーのオープンから7年が経ちました。昭和を代表する東京タワーに比べて近未来を感じさせる東京スカイツリーのカラーデザインは、日本の伝統色である「藍白(あいじろ)」をベースにしたオリジナルカラーの「スカイツリーホワイト」です。藍白とは、藍染めの際に最初の過程で現れる極めて薄い藍色のこと。ほとんど白に近い色味ながら純白よりわずかに青みがかった白で、別名「白殺し」と呼ばれるそうです。白磁のような白いタワーは青い空に映え、東京タワーとは異なった趣きを放っています。日本特有の文化や四季折々の生活の中で育まれてきた伝統色は1000色あまりといわれ現在、再現できる色だけでも300色以上あるそうです。しかも一色一色すべてに名前があり、その多くが植物の色に起因しているのは、日本ならではの四季の移り変わりによるものでしょう。例えば、東京スカイツリーのロゴマークにも使われている「苅安(かりやす)色」の「苅安」とは、山野に自生するススキに似た植物です。刈り取りが簡単だったのでこの名が付いたそうです。その苅安を使って染めた、やや緑がかった淡い黄色を苅安色と呼びますが、今では「薄い黄色」などと大雑把な表現をされています。トキの羽の色に似た薄いオレンジがかった桃色には「朱鷺(とき)色」という美しい名前が付いています。しかし、トキが絶滅種であるように朱鷺色も絶滅状態で、今や「ピンク色」が一般的となりました。価値の多様化、価値の最大化などといわれ、いかに違いを出すかに誰もが躍起になっています。商売も「違い」の競い合い。「少しの違い」を「大きな違い」に見せるための演出が派手になる一方で、肝心の商売の中身が大雑把になってはいないでしょうか。日本人はもともと四季に移ろう色彩を生活に取り入れ、ほんのわずかに明度が違う色を敏感に見分ける力を持っていました。自分も同業者も、商売の色は一見「黄色」に見えたとしても実は、菜の花色、レモン色、山吹色と黄色にも色々あります。その微妙な色合いの違いが、それぞれの商売の価値を最大化するヒントかもしれませんね。

【青き踏む春に遊ぶ】《令和元年5月号掲載》

ぬくぬくとした日だまり。心がとろけそうになるやわらかな風。あたりの緑は色濃くなり、いっせいに花が咲き始める。春は、四季のある国に暮らす喜びを全身で感じられる季節です。陰陽五行で春の色といえば「青」。これが「青春」の語源だとされています。俳句の世界では、春先の野原で青草を踏んで遊ぶことを「青き踏む」、または「踏青(とうせい)」といいます。もとは古代中国の行事に由来する言葉で、旧暦3月に青草がもえる中でうたげをする春の恒例行事だったそうです。ところで、春から夏に向かう頃になるとイソップ童話の『北風と太陽』を思い出すという知人がいます。旅人の外套(がいとう)を脱がせるために北風と太陽が勝負をするお話です。北風は思い切り寒い風を吹かせて旅人の外套を吹き飛ばそうとしますが、風が吹けば吹くほど旅人は外套の前をしっかり押さえます。

一方の太陽は、暖かな日差しを旅人に浴びせ続けました。するとそのうち旅人は暑くなり、自ら外套を脱ぎました。勝負は太陽の勝ちです。乱暴なやり方ではうまくいかない。優しい言葉をかけたり温かい態度を示したりすると、人は自分から行動する。一般的な教訓では、こうして北風が悪者になっています。ところが、実は2回勝負したという説もあるようです。まずは旅人の帽子を脱がせる勝負をしました。太陽が燦燦(さんさん)と旅人を照らすと、あまりのまぶしさに旅人は帽子をしっかりかぶってしまいます。次に北風が力一杯に風を起こすと、旅人の帽子はいとも簡単に吹き飛んでいきました。勝負は北風の勝ちです。そこでもうひと勝負というわけで、外套を脱がせる2回戦が始まったのだとか。このストーリー教訓は「何事にも適切なやり方というものがあり、一方でうまくいっても他方でうまくいくとは限らない」というものです。押してもダメなら引いてみる。商売の信念がコロコロ変わってはなりませんが、商売のやり方や考え方はひとつではないでしょう。煮詰まったときは昔の人にならって「青き踏む」を楽しみ、一度しか巡って来ないこの春を喜びと共に過ごしたいものですね。

【「ある地点」まで辛抱すればよい】《平成31年4月号掲載》

小売業を営むある社長はとてもりりしい顔立ちですが、仲間から「あきたん」と呼ばれています。これは飽きっぽい性格ゆえのあだ名だそうです。あきたんは決して怠け者ではありません。スタートダッシュは誰よりも熱心なのに努力が長続きしないタイプの社長です。頑張ってもすぐに成果が出ないから飽きてしまうのだとか。努力と成果は比例する。誰しもそう思っていませんか?しかし、残念ながらそうではないようです。学習効果は勉強した時間や努力の量に比例しないのです。頑張った分だけすぐに結果が出ればやる気も起きますが、学び始めからしばらくは、やってもやっても手応えのない地べたをはうような退屈な時間が続きます。ですから、あきたんのように初期段階で勉強や努力をやめてしまう人が多いのでしょう。ところが、ある地点に来ると、それまでの学習成果が一気に加速して、あるとき突然ブレイクスルーが起こります。ここからは目に見えて成果を感じられるようになり、コツコツと積み重ねてきた努力が実力となって発揮されていくでしょう。こうした一連の流れを学習の成長曲線といいます。『論語』の中で孔子は「苗にして秀でざる者あり。秀でて実らざる者あり」と述べました。学問の修得や徳の修養を稲穂の成育にたとえ「苗のままで穂を出さないものもある。せっかく穂を出しても実をつけないものもある。それを分けるのは努力と精進である」という孔子一流の比喩です。人の成長過程は色々で、若いうちに頭角を現して成功する人もいれば、頭角を現しただけであとが続かない人もいます。また若い頃は芽が出なくても中年になって花を咲かせる人もいます。しかし、どんなに美しい花を咲かせても、花のまま枯れて実にならない人もいます。

孔子は、実にならないからダメだと言っているのではありません。人間いつになっても努力と精進が大切だと説いているのです。成長曲線の「ある地点」が来れば、地べたをはうような時間は終わりを告げ、これまでの努力も商売もブレイクスルーするでしょう。「ある地点」まで辛抱すれば努力は必ず報われるものです。

【人の思いを大切にした商売】《平成31年3月号掲載》

「世の中に たえて桜の なかりせば 春の心は のどけからまし(在原業平:ありわらのなりひら)」。世の中にもし桜がなければ、どれほど心穏やかに春を過ごすことができるでしょう。この歌のとおり、日本人にとって桜ほど縁の深い花はありません。古来、花といえば桜を指したといわれるほどです。暖かくなれば桜は咲いたかとそわそわし、風が吹けば桜が散りはしないかともめる。そんな気ぜわしさも春が訪れた証です。世界的な桜の名所として知られるワシントンD.C.のポトマック河畔。あの桜並木は、1912年に日本が贈った桜の苗木から始まったのは有名な話です。桜の季節が終わった寂しさをなぐさめるように初夏を彩るのは、白や赤の花をつけるハナミズキ。アメリカ東部が原産のハナミズキは、ポトマック河畔の桜のお礼として大正時代にアメリカから日本に渡ってきました。ハナミズキの花言葉は「返礼」。当時の人々の温かい交流をうかがい知ることができますが、このハナミズキの運命はワシントンD.C.の桜とは異なるものでした。太平洋戦争が始まると、それまで日比谷公園などに植えられていたハナミズキの一部は「敵国の贈り物」として切り倒されたり、空襲などで枯れたりしてしまったのです。人々の心はハナミズキから離れ、存在も忘れ去られました。しかし原木は生き残り、心ある人たちのおかげで再び開花することができたのです。東京都立園芸高校などでは、高さ10メートル、幹回りが1メートルを超える老木が今でも花を咲かせている様子を見ることができます。100年以上前の出来事が今につながっている例はほかにもありますが、そこに共通しているのは「人の思いが新たな歴史を作った」ということです。今の商売が100年続くかどうかは運任せでも、商売に込めた思いが本物であれば新たな価値を生み出すことはあるでしょう。人生100年時代、AIが台頭する時代だからこそ、誰に何を贈るか、誰に何を返礼するかを考えながら、今まで以上に人の思いを大切にした商売をしていきたいですね。

【顧客の声は聞くべからず?】《平成31年2月号掲載》

「お客さまの声をよく聞きなさい」といわれます。商売のヒントも答えも、全てはお客さまの声にあるという考え方は、顧客満足を追求するうえではもっともな意見でしょう。現場のリアルな反応には、そこでしか得られない鮮度の高い情報が反映されています。ところが、顧客の意見をできるだけ取り入れた結果、商品がまったく売れなかったという話も聞きます。顧客がデタラメを言ったのでしょうか?それとも顧客の意見を読み違えたのでしょうか?『ユーザー中心ウェブビジネス戦略』という本によれば、これは人間の無意識による結果だそうです。行動心理学とデータ分析で多くの顧客の行動を観察してきたという本書の中で、とても興味深い事例が紹介されていました。

ある食器メーカーが主5人に「次に買うとしたらどんな食器が欲しいですか?」と聞きました。主婦たちは話し合い「黒くて四角いおしゃれなお皿が欲しい」という意見でまとまりました。その帰り際に、「お礼としてサンプルの食器の中からお好きなお皿をひとつお持ち帰りください」と言うと、なんと5人全員が「白くて丸いお皿」を選んだとか。その理由は「自宅のお皿は丸いものばかりなので、丸いお皿でないと重ねて置けない」「テーブルの色に合わせて食器は白でそろえている」などだったそうです。落語のオチのような話ですが、行動心理学的で考えられる理由のひとつは想像力の限界です。「黒くて四角いおしゃれなお皿」は主婦5人の想像で、具体的にあるわけではありません。人は、具体的でないものに対して良しあしの判断をつけられないそうです。もうひとつは認められたい願望です。グループで話し合うと、他のメンバーや主催者に認められやすい発言をしがちだそうです。

ただ、これは人間として仕方のないことなのでしょう。主婦がデタラメな話し合いをして「黒くて四角いお皿」と言ったわけではなく、人間の無識がなせる「認識」や「認知」の表れ方のひとつなのです。顧客の声なんてアテにならないという話ではありません。最終的に決めるのは全て自分自身なのです。

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