「勘違い?」本来の言葉の意味は!

「微に入り細を穿(うが)つ」《平成30年12月掲載》

「その件については、微に入り細を穿った調査をしています」というように「きわめて細かなところまで気を配って調べている」という意味で使われます。ビジネスでは「御社のため丁寧に漏れのないよう行っていますよ」と価値を強調する際に使われることも多いようです。間違って使われる言葉としては「微に入り細に入り」「微に入り細にわたる」が挙げられます。穿つは穴を開けること。細かい部分まで掘り下げていくイメージを覚えておくと「細を穿つ」が素早く思い出せそうですね。     

「枚挙に暇がない」《平成30年11月掲載》

枚挙とは「いちいち数え上げる」こと。暇がないとは「忙しくて休む時間がない」様子を表します。例えば「彼の功績は、枚挙に暇がないね」というように使い「彼の功績はいちいち数え上げることができないほど多いよ」という意味になります。良い意味にも悪い意味にも使えるので多用されやすい言葉ですが、「挙」という漢字が使われていることから、例を挙げる・列挙するという意味合いを含みます。単純に「物理的に数が多い」という意味で使うと誤用になるので気を付けましょう!     

「圧巻」《平成30年10月掲載》

「映画の中で主人公が歌うシーンが圧巻だった」。このような具合に、色々な物事の中で最も優れている部分に使われる言葉です。昔、中国の試験で答案の最も優れた一枚を上に置いたことに由来します。後から答案を見る人は、受験者の力量をすぐに把握できる合理的な方法というわけです。答案を「巻」と呼び、上に置いて下の答案を圧(お)すようにしたところから「圧巻」というようになりました。この由来を覚えておくと「彼の絵は圧巻だね」という使い方は間違いだと分かりますね。     

「波紋が生じる」《平成30年9月掲載》

ニュースなどで「トップの発言が波紋」と省略して表現されることがあります。波紋は、静かな水面に物を落としたときに生じる形状のことです。何かにより影響や動揺を与える様子を表し「波紋が生じる」あるいは「波紋が広がる」という具合に使います。よく似た言葉に「波紋を投げかける」「波紋を投じる」があります。これは問題を投げかけて反響を巻き起こす「一石を投じる」と混同したものです。「波紋は水の形状なので投げられない」と覚えておくと間違えることはありませんね。     

 「いやがうえにも」《平成30年8月掲載》

漢字では「弥が上にも」と書きます。弥は「ますます」という程度を表すので、さらにその上を意味する言葉です。「いやがうえにも期待が高まる」という具合に使い、今までも期待していたけれど、いっそう期待が高まる様子を表します。混同されやすいのが、語感が似ている「いやがおうにも」です。漢字で書くと「否が応にも」となり「なにがなんでも、有無を言わせず」という意味です。使い方を誤ると全く意味が異なってしまうため、迷ったときは漢字を思い浮かべるといいですね。     

「けんもほろろ」《平成30年7月掲載》

「借金を頼みに行ったが、けんもほろろに断られた」というように、冷たく拒絶される様子を表す言葉です。「けん」も「ほろろ」も、鳥の雉(キジ)の鳴き声や羽ばたく音からきているそうです。雉の鳴き声「ケーンケーン」と慳貪(けんどん:不愛想で思いやりのない様子)の「けん」を掛け、それに「ほろろ」が付いたものと考えられています。ひらがなの語感で、ほろっとするという正反対のイメージを抱かないようサッと無愛想に飛び立つ鳥を思い浮かべるといいかもしれませんね。         

「愛嬌(あいきょう)を振りまく」《平成30年6月掲載》

「男は度胸、女は愛嬌」ということわざがあるように、昔から女性は愛嬌があるほうがよいとされていました。愛嬌とは「にこやかでかわいらしい」「かわいげがあって憎めない」表情や仕草のこと。間違えやすい言葉に「愛想」がありますが「愛想を振りまく」とは使いません。愛想は応対するときの態度のことで、相手に対して感じよく振る舞うことを「愛想がいい」といいます。態度は振りまくことはできませんが、人に備わっている愛嬌は振りまくことができると覚えるといいですね。     

「伯父・叔父・小父」《平成30年5月掲載》 

伯父と叔父と小父。どれも読みは「おじ」ですが、使い分けが意外と難しい言葉です。中国儒教の教えからくる兄弟姉妹の順序を表す「伯仲叔季」がもとになっており、伯は長男、仲は次男、叔は三男、季は末子を指します。この言葉から、自分の親の兄または姉の夫が「伯父」、自分の親の弟または妹の夫が「叔父」となります。そして、親戚でも何でもないおじさんは「小父」です。迷ったときは「伯という字は伯爵に使われており目上の人に対して使う字である」と思い出すといいですね。

「二の舞を演じる」《平成30年4月掲載》

二の舞とは舞楽(ぶがく)で使う用語です。案摩(あま)という踊りの後に、それを真似して踊るもののうまく踊れない様子を、面白おかしく演じることを表します。ここから「人の真似をして失敗すること」「前の人に失敗を繰り返すこと」を意味するようになりました。会話では「彼の二の舞になる」などと省略して使われることもあります。尻込みすることを意味する「二の足を踏む」と混同して「二の舞を踏む」とならないよう、舞は「踏むものでなく演じるもの」と覚えておきましょう。

「やぶさかでない」《平成30年2月掲載》

やぶさかとは「けちけちする」「気が進まない」様子を表す言葉です。これに「ない」という否定形で表現する方法は緩叙法と呼ばれ、積極的な姿勢を婉曲的に表す言葉となります。例えば、協力を頼まれて「やぶさかでない」と返事をするときは「協力してもよい」ではなく「喜んで協力する」という前向きな意味になります。否定形に惑わされ「仕方ない」「やむを得ない」というニュアンスに取らないよう注意が必要です。「悪くない」(かなりよい)という使い方を思い出すといいですね。

「さわり」《平成30年1月掲載》

漢字で「触り」と書き、話の聞かせどころや興味を引く部分を指す言葉です。浄瑠璃(じょうるり)で使われてきた言葉で、他の流派の節を取り入れた部分を「他流派に触る」といったところから、その部分を「さわり」と呼ぶようになりました。違う流派の節が入るため、印象的で目立つ場面になるわけです。ところが「触り」という語感から「サッと触れる」と捉えて最初の導入部分と間違える人も多いそうです。音楽でいえば、イントロではなくサビの部分と覚えておくといいですね。

「押っ取り刀(おっとりがたな)」《平成29年12月掲載》

「おっとり」は、人柄やしぐさなどがのんびりと落ち着いている様を表す言葉です。この語感に惑わされて「おっとり刀で駆けつける」という言葉を「後からのんびり駆けつける」という意味に勘違いする人が多いそうです。しかし、漢字で表記すると「押っ取り刀」となり、武士が刀を腰に差す間もなく、刀を押し取るように握りしめ飛び出す様を表しているのです。したがって「大急ぎで、慌てて、取る物も取り敢えず」という意味で使います。語感と真逆の意味になるのが面白いですね。

「寸暇を惜しんで(すんかをおしんで)」《平成29年11月掲載》

寸暇は「ほんの少しの空き時間」という意味です。ほんの少しの空き時間も無駄にすることを惜しんで一生懸命に何かをする状態を「寸暇を惜しんで○○する」といいます。誤用されやすいため注意したい言葉が「寸暇を惜しまず」です。これでは空き時間を無駄にすることを惜しまない、つまり無駄に費やすという意味になります。おそらく苦労や面倒を嫌がらない「骨身を惜しまず」や「努力を惜しまず」などと混同されているのでしょう。「時間を惜しむ、もったいない」と覚えましょう。

「玄人跣(くろうとはだし)」《平成29年10月掲載》

物事に熟達した人や専門家を玄人(くろうと)といい、経験のない人を素人(しろうと)と呼びます。素人は、白塗りをしただけで芸のない役者のことを指す白人(しろひと)からきた説があり、この白人に対しての黒人「くろうと」に変化し、「奥深い」を意味する「玄」の漢字があてられました。そして、玄人も驚くほど優れている素人のことを「玄人跣」といいます。玄人が履物をはくのも忘れるほど驚き、裸足で逃げ出す様を表した言葉です。「素人跣」は誤用なので注意しましょう。

「閑話休題(かんわきゅうだい)」《平成29年9月掲載》

「閑話」は無駄話、「休題」は話をやめること。つまり「本題から逸れてしまった無駄話をやめて本題に戻す」という意味です。講演などで演者がよく用いる言葉ですが、時々「固い話ばかりだとつまらないでしょうから、少し面白い話でもしましょう」という場面で使われることがあります。しかし、これは「無駄話を始めるときに使う」という本来とは逆の誤用です。閑話休題と聞いたら、背筋を伸ばして耳を傾ける絵を思い浮かべると間違えませんね。

「言わぬが花」《平成29年8月掲載》

これは「言葉にしてはっきり言わない方がかえって趣や値打ちがある」ということわざです。また「余計なことを言わない方が差し障りがない」という意味もあり、もともと口数の多い人よりも少ない不言実行型の人を好む傾向にある日本らしい言葉ともいえます。混同されることが多い言葉に「知らぬが仏」があります。「知らなきゃ怒ったり悲しんだりせず仏のように過ごせたのに、知ってしまったために苦しむ」という意味で「言わぬが仏、知らぬが花」にならないよう注意しましょう。

「君子豹変(くんしひょうへん)」《平成29年7月掲載》

中国の故事からきた言葉で、「君子」とは徳が高い人、「豹変」とは豹の毛が秋に抜け変わり、紋様が鮮やかに変化することを意味します。「徳が高い人は自らの過ちを直ちに改める」という賞賛の言葉です。現在では「言動がコロコロと変わって周りを振り回す。自分の都合で態度を一変させる」などの悪い意味で使われることが多いようです。原文では「君子豹変、小人革面」とあり、「小人(=凡人)はただ外面を改めるだけ」と続くので、君子と小人の対比を覚えておくと間違えませんね。

「すべからく(須く)」《平成29年6月掲載》

その後に「~べし」や「~べきだ」などの言葉を伴う漢文の再読文字で「当然のこととして~すべきだ」という意味です。近年は「べし」や「べき」が省略され、「全て」「漏れなく」という意味だと間違えて使う人が増えたそうです。例えば、「プロの選手はすべからく記録を更新した」を「全てのプロの選手は記録を更新した」という意味で解釈すれば、本来の意味と異なってしまいます。漢字で表す「須く」の須は、必須科目の「須」なので、「必ず行う必要がある」と覚えると迷いませんね。     

「触手を伸ばす」《平成29年5月掲載》

「欲しいものを獲得しようと働きかける」という意味です。軟体動物が手足を伸ばしてエサを捕らえるイメージですね。「新規事業としてIT産業に触手を伸ばす」というような、どちらかというと企業などの動向について使われることが多いようです。似たような意味を持つ言葉に「食指が動く」があります。これは中国の故事からきた言葉で、食欲が起こる、転じて「物事に対して欲求が発生する」という意味です。この2つが混同すると「食指が伸びる」となってしまうので注意が必要です。    

「物議を醸す(かも)す」《平成29年4月掲載》

以前、「物議を醸す映画20本」が発表されたことがあります。公開にあたりさまざまな論争を巻き起こした作品です。このように「物議を醸す」は、世間の議論を引き起こすことを指し、どちらかというと悪い意味で使われることが多い言葉です。誤用されやすいのが「物議を呼ぶ」。この言葉の意味は「互いに意見を述べあう」で、その意味合いが似ていることから混同されるようです。「醸す」は醸造からきている言葉で、ある事態を作り出すというイメージで覚えておくと間違えませんね。     

「目端(めはし)が利く」《平成29年3月掲載》

目端とは眼力のことで「その場に応じて素早く適切な判断を下す」「機転がきく」という意味です。本来は褒め言葉ですが、「抜け目がない」といった否定的なニュアンスで使われることもあります。誤用されやすい言葉が「目鼻が利く」です。「目が利く」「鼻が利く」という慣用句があり、混同されることが多いようです。これらは「ものの善し悪しを見分ける能力に優れていること」「見付け出す能力に優れていること」を意味する慣用句です。「目と鼻は別のもの」と覚えておくと忘れませんね。

「青田刈り」と「青田買い」≪平成29年2月掲載≫

青田とは稲がまだ実っていない青い状態の田んぼのことを指します。「青田刈り」は、戦国時代の作戦のひとつで、敵の城の周りにある田んぼの稲を実る前に刈り落とし兵糧(ひょうろう)不足にすること。一方の「青田買い」は、その年の稲の収穫量を見積もり米を先買いすることで、そこから企業などが卒業前の学生の採用を早い段階で決めることを指すようになりました。刈るものは特にこだわる必要はなく、買うものは良いかどうか見極める。このように覚えておくと間違えませんね。

「上には上がある」≪平成29年1月掲載≫

一生懸命に努力をしたのに、さらに自分を上回るスゴイ人を見たとき「上には上がいる」と思ったことはないでしょうか。これは「自分より才能を持った人がいる」と、人に焦点を当てた言葉です。しかし、実はこれは誤用で、正しくは「上には上がある」です。これが最上だと思っていても必ずそれ以上の行為や状態があることを指す、物や事に焦点を当てた言葉なのです。上には上があると前向きに挑戦していくか、卑屈になって終わるか。この先の生き方に関わる味わい深い言葉ですね。  

「おざなり」と「なおざり」≪平成28年12月掲載≫

「おざなり」は漢字で「お座成り」と書き、宴会の席で「形ばかりをとりつくろう」から由来し、いい加減に物事を処理するという意味です。一方、「なおざり」は漢字で「等閑」と書き、いい加減なまま放っておくという意味です。区別するポイントは、「物事に対して動いたかどうか」です。おざなりな対応は、いい加減で不十分でも対応したということ。対応をなおざりは、ほったらかしにして何もしないということ。したかしないかで判断すると覚えておけば、迷うことはありませんね。

「蟻の這い出る隙もない」≪平成28年11月掲載≫

「犯人が立てこもる民家を、蟻の這い出る隙も無いほど警官隊が取り囲んでいる」。映画やドラマのような状況が目に浮かんできますね。小さな蟻が外に出られる隙間もないくらい警戒が厳重であることを意味する表現です。戦国時代の武将が敵城の包囲を命じ食糧補給の道を断って落城させるという兵糧(ひょうろう)攻めのイメージが分かりやすいでしょうか。よく誤用されるのが「蟻の入り込む隙も無い」。「外に出たくても出られない状況」と覚えておくと間違えることはありませんね。

「破天荒」 ≪平成28年10月掲載≫ 

豪快な逸話を持つ人を「破天荒な人」と呼ぶことがあります。「破天荒」の本来の意味は「誰も成し得なかったことを初めてすること」です。中国の唐時代、荊州という地では官吏登用試験の合格者が出ず、天荒(未開の荒地)と呼ばれていました。その後、劉蛻(りゅうぜい)という者が初めて合格して「天候を破った」と言われたことに由来しています。字面のイメージで「豪快であること」と誤用が広まったようですが、「破天荒な人生を送った人」と正しい用例を覚えておくといいですね。 

 「斜に構える」 ≪平成28年9月掲載≫ 

「斜(しゃ)に構える」は、もともとは剣術来た言葉だそうです。剣道でいう中段の構えが、胸元から相手に向かって斜めに刀を突き出す形であることから、こう呼ばれるようになりました。剣先を相手の目に向けて構え、隙がない様子から「身構える」「改まった態度をする」という意味になったようです。しかし近年では、文字そのままのイメージで「物事を斜めに見る」「気取った皮肉屋」という意味合いで使われることが優勢になっています。言葉も時の流れで

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